前回までの当ブログ、ロシアファッションヒストリーので、ロシアにおける水着の歴史を見てきました。中心がソ連時代の話でしたが、このテーマをまとめているうちに、この水着というテーマのもと、世界で起きたできごとを知りたくなりました。1910年以降、水着の品質や性能、そしてブランドという観点から興味深いストーリーがありますので紹介いたします。
水着の歴史、その品質、性能、ブランド(1910年から1930年代まで)
1910年:体にフィットした水着の誕生
この年代の水着は一般的に下の画像のようなもので、体のラインを見せるものではなく、もっと言うなら泳ぐための機能とかデザインは全くと言って考慮されないものでした。
ところが、はじめて体のラインぴったりの水着を着て公衆の面前に出た女性がいます。オーストラリアの水泳選手、女優、ボードビル・スターのアネット・ケラーマン(下の画像)です。面白いことにアネットは、水着姿でで公衆に現れたとして米国ボストンの警察に逮捕されてしまいます。実際、写真に見られるように、当時公開されていたコスチュームは、足も含めてほぼ全身を覆っているものなのにです。体のラインが露になることさえも反道徳的な時代だったのですね。
ちなみに、当時18歳のアネットは、初めて泳いでイギリス海峡を横断するという冒険を試みた女性でした。残念ながら横断そのものは失敗でしたが。
この方、映画の方ではもっと大胆な格好をして演じています。
「神々の娘」に出演中のアネット。こっちで捕まったのならわかりますけどね。
1913年:世界で初の水着ブランドの誕生
オレゴンにある小さなアメリカの縫製会社の創設者であるジョンA.ゼンバウアーとカール・ジャンセンは、水泳に熱心で、水泳クラブのメンバーとなっていました。
地元の川で早朝に泳ぐのはかなり寒かったので、彼らは天然ウールで、よく体にフィットする水着を作ることにしました。数年かけていくつかの試行錯誤の後、この水着はシリーズになり、Jantzenというブランドが確立します。こうしては100年以上にわたってつづく有名なブランドが始まったのです。
Jantzenの2020年モデルはこれですが、60年前と大きな変わりが無いのでは?
1925年:Latex素材の登場
1925年に軽量で体にフィットするタイプのラテックスベースの生地が登場した後、ニットのウール水着はほとんど使用されなくなりました。やはりチクチクしたんでしょうね。ブログ筆者は毛糸が地肌に触るのが耐えられません。くすぐったくなって赤面してしまうほどです。ウールに変わり、たとえば、LastexというファブリックをハリウッドのMabs社が使用し、Matletexと言う素材はカリフォルニアのCole社が使用しました。
この時期、タイトな水着が急速に普及し、3年後には英語の辞書に「maillot」という単語が含まれるようになります。これはワンピースの水着、あるいは体にぴったりとくっついた衣服などを意味します。
1928年:Speedo社の誕生
この年オーストラリアの会社 MacRae Knitting Millsは、Speedoに社名を変更し、同じ名前のブランド水着の生産を開始しました。Speedoのロゴは店頭だけでなく、スポーツ雑誌などのメディアや、オリンピックなどの競技場で選手たちが身に着けているのをよく見かけると思います。
公式ウェブサイトでSpeedoの歴史を見ることができます。http://www.speedo.com/en/speedo_brand/insidespeedo/history/index.html
1930年:
ファッション革命的な出来事がこの時に起こります。それは、イタリア生まれのフランス人女性、Elsa Schiaparelliが、ブラとオープンバックを備えた理想的な日焼け跡ができる水着の特許を取得したことです。
ちなみに、この人はフランスのクチュリエとして服にジッパーを始めて使い始めましたし、また当時大変な話題を呼んだ「黒い骸骨のドレス」を発表したのも彼女です。ファッションの女性革命家だったんですね。
さて、今回はここまでです。次回は1930年代から1950年代までの、水着の歴史を見ていきましょう。
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