ロシア民族衣装のお店キリコシナ
ロシア民族衣装のお店 キリコシナ

ロシアファッションブログ137 ロシアのお茶の歴史3

未分類
出典:https://densvi.com/suits/female/11870-shablon-fotoshop-russkaya-krasa.html
この記事は約15分で読めます。

ロシアファッションブログの137回目、ロシアのお茶の歴史の3回目です。前回ロシアファッションブログ136「ロシアのお茶の歴史2」では、ロシアにおいてお茶がどのように供されていたかをご紹介しました。

今回は、ロシアの文化的要素が色濃く出たお茶道具とも言うべき、サマバールを特集します。

 

 

サマバール

 

現代のサマバールと構造的に類似した水を加熱するための容器は、古代中国と古代ギリシャの両方で知られていました。

中国の湯沸かし装置
出典:https://tani-y.livejournal.com/6848085.html

 

しかしサマバールが文化の象徴の1つになったのは、ロシアのみです。

 

最初の「茶器」は、海外からの新しいもの好きだった皇帝ピョートル 1 世の興味から、オランダからロシアに持ち込まれたものです。

ピョートル1世
出典:https://ru.wikipedia.org/wiki/%D0%A1%D0%BF%D0%B8%D1%81%D0%BE%D0%BA_%D0%B8%D0%BC%D0%BF%D0%B5%D1%80%D0%B0%D1%82%D0%BE%D1%80%D0%BE%D0%B2_%D0%A0%D0%BE%D1%81%D1%81%D0%B8%D0%B8#/media/%D0%A4%D0%B0%D0%B9%D0%BB:Peter_de_Grote.jpg

初期のロシアのサマバールは、18世紀半ばにウラルとトゥーラのデミドフ工場で作られました。

 

最初のサマバールは銅でできていて、その生産に特化した最初の工場は、1778 年に鍛冶屋の ヒョードル リシツイン によってトゥーラに開設されました。リシツィンのサマバールは、樽型、型押しと彫刻が施された花瓶型、卵型の胴体とループ型のハンドルなど、さまざまな種類と仕上げで有名になりました。サモワールの各形態には、「卵」、「ボール」、「ガラス」、「花瓶」、「カブ」というバリエーションが当初からありました。

 

出典:https://www.culture.ru/materials/76834/vodogreinaya-

mashina-ili-simvol-russkogo-byta#material_76852-1

トゥーラのサマバール博物館より
出典:https://www.culture.ru/institutes/10571/muzei-tulskie-samovary

 

歴史的には、ロシアのサマバール самовар には多くの名前がありました。ウラジーミル・イワノビッチ・ダールの辞書には、 «самоварец» サモバレッツや «самодур»サモドウール「暴君」という呼び名についても言及されています。ヤロスラヴリの人々は «самогар»サモガーと呼び、ヴィアトカンで«самогре»は「サモグレイ」と呼び、クルスクの住民は«самокипц»サモキペットと呼んでいまし

た。

 

トゥーラのサマバール博物館より
出典:https://www.culture.ru/institutes/10571/muzei-tulskie-samovary

歴史的背景においての視点を民間におくと、こうした茶器の革新がどのように異なって扱われたかは興味深いです。サマバールを「奇跡」と見なす人もいれば、ネガティブに「悪魔」のように考える人もいました。

出典;https://tani-y.livejournal.com/6848085.html

次のようなサマバールに関する詩があります。

 

真っ赤な悪魔がテーブルに登った。
それは、あたまに水を貯え、腹には火を貯え、
そして4本の足、2つの耳、1つの鼻を持っている

 

ロシアにおけるサマバールの価値

ロシアのサマバールの全盛期は、18 世紀の終わりと 19 世紀です。それまで、お茶もサマバールも高価で、買うことができるのは非常に裕福な人だけでした。商人が納税の際、有するサマバールがどう評価されたかの記録があります。当時サマバール一つが4 ルーブル 80 コペイカしていましたが、比較として住居となるそこそこ質のいい小屋が 10 ルーブルで、20 ルーブルもだせば立派な家を買うことができます。また牛 1 頭あたり 最低でも2.50 ルーブルした時代のことです。

時間が経つにつれて、サマバールは工場で大量生産され始め、サマバールのコストが削減され、お茶はより手頃な価格になりました。小金を持つ人が喜んでサマバールを購入し、またサマバールが居酒屋にも登場するようになり、こうした「手ごろなサマバール」も人気を博すようになりました。

 

 

ロシア文学/芸術への浸透

 

大量生産により、サマバールは一般家庭にもどんどんと普及しました。そして、単に便利という側面から浸透していったわけではなく サマバールは国民生活の文化の一端を担うようになりました。

ロシアの詩人ボリス・サドフスカヤは、詩集「サマバール」の序文で次のように書いています。

私たちの生活の中でサマバールは無意識のうち、大きな場所を占めています。純粋なロシア的現象であり、これは外国人の理解を超えています。サマバールのハミングとささやきに。ロシア人は子供の頃から聴きなれた声を思い浮かべます: 春風の溜息、母親の親愛なる歌、村の吹雪の陽気な笛音。これらの音は、ヨーロッパの都市のカフェでは聞こえません。

このように、サマバールは人々の文化の一部になりました。プーシキンとゴーゴリ、そしてゴーリキーもサマバールについての著述を多く残しています。

さらに多くの、芸術家がサマバールをテーマに作品を残しています。

まずは、ボリス・ミハイロヴィッチ・クストーディエフ (1878 – 1927)の作品です。

 

出典:https://rusmuseumvrm.ru/data/events/2018/04/samovar_v_tvorchestve_russkih_hudozhnikov/index.php?lang=en

出典:https://rusmuseumvrm.ru/data/events/2018/04/samovar_v_tvorchestve_russkih_hudozhnikov/index.php?lang=en

出典:https://rusmuseumvrm.ru/data/events/2018/04/samovar_v_tvorchestve_russkih_hudozhnikov/index.php?lang=en

 

次に1976年生まれのエフゲニー・ムコブニンの作品から:

出典:https://evg-crystal.ru/kartiny/evgenij-mukovnin-kartiny.html

 

そして1959年オムスク生まれのウラジミール・ズダノフの作品から、こちらはたくさんあります。:

出典;https://ja.newmediator.org/2708-vladimir-zhdanov-1959-siberian-landscape-painter.html

出典:https://ja.newmediator.org/2708-vladimir-zhdanov-1959-siberian-landscape-painter.html

出典:https://ja.newmediator.org/2708-vladimir-zhdanov-1959-siberian-landscape-painter.html

出典:https://ja.newmediator.org/2708-vladimir-zhdanov-1959-siberian-landscape-painter.html

出典:https://ja.newmediator.org/2708-vladimir-zhdanov-1959-siberian-landscape-painter.html

出典:https://ja.newmediator.org/2708-vladimir-zhdanov-1959-siberian-landscape-painter.html

出典:https://ja.newmediator.org/2708-vladimir-zhdanov-1959-siberian-landscape-painter.html

出典;https://ja.newmediator.org/2708-vladimir-zhdanov-1959-siberian-landscape-painter.html

 

サマバールでいれたお茶の味

 

ロシアのサマバールはとてもメロディアスな存在です。最初は繊細に優しく歌い、やがて冬の吹雪のような音を立て、春の小川のように沸きます。そして、こうした演出は偶然ではなく、いわゆる 本物のサマバールは、必ず歌えるように (胴の形で) 設計され作られるのです。

出典:https://samovaryrossii.ru/%D1%80%D0%B0%D1%81%D1%82%D0%BE%D0%BF%D0%BA%D0%B0-%D0%B6%D0%B0%D1%80%D0%BE%D0%B2%D0%BE%D0%B3%D0%BE-%D1%81%D0%B0%D0%BC%D0%BE%D0%B2%D0%B0%D1%80%D0%B0/

 

サマバールで沸かしたお湯で入れたお茶は、電気湯沸かし器で沸かしたお湯からのお茶と比べることはできません。サマバールは、水の硬度を効果的に下げる本物の化学反応器と言ってもいいものです。実際のサマバールでは、不溶性の炭酸塩がより多く底に沈み(したがって、サマバールには底の少し上に蛇口があります)ます。したがって、お茶が信じられないほど美味しくなるのです。

 

今回はこれまで、サマバールについてのお話でした。

 

次回も「ロシアのお茶の歴史」は続きます。

 

 

参考資料

 

https://www.culture.ru/materials/76834/vodogreinaya-mashina-ili-simvol-russkogo-byta

https://tani-y.livejournal.com/6848085.html

https://evg-crystal.ru/kartiny/evgenij-mukovnin-kartiny.html

Самовар в творчестве русских художников
В медиалектории ЦРБ Чехова состоялась лекция, посвященная образу самовара в творчестве русских художников. Лектор - А. Юнусова.

https://www.tea-terra.ru/2014/02/27/14095/

https://vash.market/bytovaya-tehnika/melkaya-tehnika-dlya-kuhni/razogrev-vody/samovar.html

https://samovaryrossii.ru/%D1%80%D0%B0%D1%81%D1%82%D0%BE%D0%BF%D0%BA%D0%B0-%D0%B6%D0%B0%D1%80%D0%BE%D0%B2%D0%BE%D0%B3%D0%BE-%D1%81%D0%B0%D0%BC%D0%BE%D0%B2%D0%B0%D1%80%D0%B0/

https://arzamas.academy/materials/2229

 

  • Вертинский А. Н. Дорогой длинною…
    М., 1991.
  • Даль В. И. Пословицы русского народа. Сборник.
    В 2 т. М., 1984.
  • Даль В. И. Толковый словарь живого великорусского языка.
    Т. 1–4. М., 1978.
  • Кулишер И. М. История русской торговли и промышленности.
    Челябинск, 2003.
  • Матвеев Н. С. Москва и жизнь в ней накануне нашествия 1812 года.
    М., 1912.
  • Оглоблин Н. К истории чайной торговли.
    Чтения в Императорском обществе истории и древностей Российских при Московском университете. Книга 1. Отдел 3. М., 1904.
  • Радецкий И. М. Альманах гастрономов, заключающий в себе состав блюд девяносто полных обедов.
    СПб. — М., 1877.
  • Ржанов Н. Китайский чай. Подробное описание.
    М., 1856.
  • Садовский А. C., Соколов И. А. Чайные двойники.
    Химия и жизнь. № 5. 2013.
  • Семенов Н. Изучение исторических сведений о российской внешней торговле и промышленности.
    Т. 1–3. М., 1858–1859.
  • Соколов И. А. Китайский чай в России.
    В 3 т. М., 2015.
  • Соколов И. А. Чай и чайная торговля в России: 1790–1919 гг.
    М., 2012.
  • Солнцев Ф. Г. Моя жизнь и художественно-археологические труды.
    Русская старина. Т. XV. 1876.
  • Тарасов Д. К. Воспоминания моей жизни: записки почетного лейб-хирурга Д. К. Тарасова: 1792–1866 гг.
    Русская старина. Т. IV. 1871.
  • Где и как добывается чай.
    Дружеская речь. № 1. 1914.
  • Живописная Россия. Отечество наше в его земельном, историческом, племенном, экономическом и бытовом значении.
    Т. 6. Москва и Московская промышленная область. Часть 1. М. — СПб., 1898.
  • Московская старина. Воспоминания москвичей прошлого столетия.
    М., 1989.
  • Новая история Китая.
    М., 1972.
  • Поездка императора Николая Павловича в Стокгольм в 1838 г. Воспоминания В. И. Фелькнера.
    Русская старина. Т. XII. 1875.
  • Россия в ее прошлом и настоящем (1613–1913). (В память 300-летия царствования державного дома Романовых.)
    М., 1914.
  • Сказания русского народа, собранные И. П. Сахаровым.
    М., 1990.
  • Book-Album About the tea City of Hankou.
    Wuhan, 2019.

コメント

タイトルとURLをコピーしました