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ロシアファッションヒストリー34 1910年から1930年

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フルラ、ロシア人スーパーモデルのイリーナ・シェイク 出典:https://fashion-j.com/archives/118393
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このブログのシリーズ、ロシアファッションヒストリーも代34回目となりました。前回はゲルダンの特集をお送りしました。今回は1910年から20年間のロシアのファッションに関する様々な興味深い話をお届けします。

ロシアでは1905年の第一次革命と1917年には2度の革命が起きており、一般的にロシア革命というと1917年の社会主義革命を意味します。その1917年の革命後、ロシアのファッションのブームは本国ロシアではなく実は西洋で始まりました。これは、ロシアの伝統、衣装、職人の技を西洋にもたらした大量ロシア移民、多くは地主や貴族たちによるものでした。さらに面白いことに、1920年代のロシア人」モデルも大量にヨーロッパに出現したため(これも教養ある家柄の子女)、ファッションモデルの職業はファッショナブルでステータスの高いものになりました。それ以前はヨーロッパのモデル家業はほとんど下賤な職業と見なされていました。というような逸話があるのですが、詳しく見てみましょう。

フルラ、ロシア人スーパーモデルのイリーナ・シェイク
出典:https://fashion-j.com/archives/118393

 

1910から1930年の20世紀のロシアのファッション:

ソ連の国民統一キャンペーン

1917年の革命の後、そして南北戦争の終わりに、ファッションの世界でこれまでの帝政ロシア様式を払しょくして、いわゆるソビエト様式を創作する国家プロジェクトが始まりました。ソ連の人々の国民統一キャンペーンです。特に、1919年にソビエト連邦ロシア共和国の新しい首都モスクワで、いわゆるオーバーオール、つまり作業着の店舗が国によってつくられたのがプロジェクトの一例です。これは「働く女性」を意識したソビエト連邦の象徴する女性像を宣伝することが目的でした。

このプロジェクトは、ソ連全国の女性にも男性と同じオーバーオールを着させようというアイデアで、政府内では真剣に議論されていたものです。1921年にはそれを実現する寸前まで行ったのですが、政府の倉庫には全国にいきわたるほどの量のダークブルーの生地がなかったという事実によって計画は中止になったのです。

当時のソビエト女性選手団の画像
オーバーオールも似合ったかも
出典:https://diletant.media/articles/25384500/

1918
出典:革命家と男装したその妻https://club.osinka.ru/topic-180010?start=15

画像ペトログラード、1918年。革命家と男装に近い黒い革のジャケットの配偶者

一方、同じ共産国の中国では、このファッションの国民統一というのは成し遂げられました。皆さんよくご存じの国民服です。

中国の国民服
Public domain

 

中止になってよかったですね。ところでソビエト政府は、ファッションの世界でも個人主義の萌芽に対して容赦ない弾圧を繰り広げていましたが、常に美しい服装を求める人はいるもので、西側諸国はこれらの人々へのガイドを務めていました。したがって、この時期政府の圧力にかかわらず実際にはソ連のヨーロッパ側は西側ファッションに影響されていました。一方、ソ連のアジア側には見るべきファッションの基本的な変化は起こらなかったようです。

 

ヘアスタイル

以下の画像は、1927年のソ連時代のファッションであるストレートシルエットの短い夏のドレスを着た、かつ当時流行のショートカットのヘアスタイルのロシア人モデルです。

ガリナ・ロストフツエヴァ
出典:https://club.osinka.ru/topic-180010?start=15

ロシア革命後は、女性のショートヘアが、その社会主義の理念にのっとって宣伝され、採用されました。その時、ショートヘアは新しいロシアのシンボルとなっています。裏の事情としてはまず第一に、これは当時の日々の経済困難によるものであり、パーマや長い髪の処理に費やす費用と時間が惜しかったという事実と、第二に、そのヘアスタイルが西ヨーロッパの一般的なファッショントレンドにも対応していた言うのが事実のようです。

髪を明るく染めたり、暗く染めたりするための技術は1929年以降に広く利用可能になり、ロシアと言っても自然な金髪があまり多くなく、また必ずしも金髪が人気があったわけでもなく、事実として当時はブルネットが流行していました。ブルネットの流行のすさまじさは、天然のブロンドのロシア人でさえ、染料をを使用してより暗い色に染色していたほどです。

ショートヘアというロシア革命後の変化に大きな影響を及ぼしたのは、ジェンダーに関する新しい展望でした。ソビエト政府は、性に対する社会主義的理解を国民に求めました。性はプロレタリア志向であるべきだと論じられ、「人々の間の性的接触は単純な生理学的必要性である」と宣言されたのです。この論理は、ソ連共産党お抱えの学者アレクサンドラ・コロンタイが説いた「水のガラスの理論」です。この理論の本質は、愛はブルジョアジーの名残として認識され、人々の間の性的接触は、コップ一杯の水を飲むことと同等の意味しかないと説いたのです。言い換えると、女性は女性らしくある必要はない、ということでしょうか?ファッションにおいてもユニセックス化というより、むしろ女性的魅力のアピールをできるだけ遠ざけようとさえしていた傾向が顕著な時代でした。

モスクワ、1916年。ボリショイ劇場のバレエダンサー、軍服として様式化されたコートを着た映画女優のヴェラカラッリ
出典:https://club.osinka.ru/topic-180010?start=15

 

ロシアではこの時期、こうしたジェンダーに関する論争は、イデオロギー論争も混じって非常に発展して活発な時期だったようです。世界に類を見ない面白いキャンペーンがありました。1925年に組織された「恥はブルジョワの偏見」という意味の社会思想メンバーがおこなったキャンペーンで「裸のデモ」というものです。これには「ブルジョワの悪しき文化は『恥ずかしい』という感覚である。サルを見ればわかるように、服も着ず、平等であり、恥ずかしさもない。」という無理な理由付けの元、「ブルジョワ追放、差別追放、裸で歩こう」、を叫んでモスクワやサンクトペテルブルグは勿論、ソ連のいたるところで裸に近い格好で町を練り歩いたのです。

裸のデモ
出典:https://stalist.livejournal.com/684044.html

しかし、このデモはイデオロギーとは別に、ロシアの人々には全く受け入れられず、冬寒くなるのと同時にほどなく無くなりました。1926年以降も再開されなかったようです。

ところで、ロシア人やウクライナ人がよく裸でデモをするのはご存じでしたか?ブログ筆者は寒い国なのになんでだろうといつも不思議だったんですが、ソ連時代の裸のデモの事実を知って納得しました。名残だったんですね。

ロシアにおけるジェンダーに関するデモ
出典:Public Domain

ウクライナの反ロシアデモ
出典:https://www.afpbb.com/articles/modepress/2770073

 

ソ連時代の自作ファッション

革命後のファッションの主な特徴と皇帝の時代のファッションとの違いは、それが「自作」か「テーラーメイド」かです。革命前のファッションが、高価な仕上げを使用して、プロの仕立て屋によって、良い素材で作られていたのと対照的に、革命後の「新しいファッション」は、ごく簡単な作りで、時には信じられないほどの材料や製造方法が余儀なくされました。

1924年 司祭の礼拝服から作ったホームドレスを着たクロル姉妹
出典:https://club.osinka.ru/topic-180010?start=0

たとえば、当時の有名な作家ナデジダ・テフィの回顧録では、女性が服を縫うシーンを読むことができます。材料の記事として、カーテン、シーツ、ベッドカバー、テーブルクロスが使用されました。縞模様のマットレスの外布でさえ、他の生地と同様に非常に人気があったほどです。

生地は、1936年以降、手元のすべての素材が何不自由なく手に入るまで、物々交換の対象でした。織物は購入することができず、他の多くの有用なもの交換することによってのみ手に入れることができたのです。

レニングラードにおける取引シンジケート「トルシン」の広告
出典:https://club.osinka.ru/topic-180010?start=0

人々はもしかしたら騙されていたのかもしれませんが、上の写真はいわゆる「トルシン」という取引シンジケートの広告です。このようなものが多数開設され、宝石、金、銀、プラチナのような貴金属と引き換えに、生地、子供の靴、女性の下着などの様々な日常品を入手していたほど、ファッションへの希求と欠乏があったのです。

いかがでしたでしょうか。今回はここまでです。

それでは続きは次回のブログでお楽しみください。

 

 

参考文献およびウェブサイト(すべてロシア語です)

http://lamanova.com/16_competitors.html
https://russian7.ru/post/kak-poyavilas-kosovorotka-u-russkikh/
https://vrns.ru/analytics/1394

https://club.osinka.ru/topic-180010?start=15
・R.V.サハルジェフスカヤ「衣装の «歴史:古代から近代へ
・カミンスキーN.M.「コスチュームの歴史」
・Далю(ダーリョ)「Толковый словарь живого великорусского языка」

https://vladimirdar.livejournal.com/34227.html

https://www.proza.ru/2016/03/06/208

https://wiki.wildberries.ru/%D0%B3%D0%BB%D1%8F%D0%BD%D0%B5%D1%86/%D0%B8%D1%81%D1%82%D0%BE%D1%80%D0%B8%D1%8F-%D0%B6%D0%B5%D0%BD%D1%81%D0%BA%D0%B8%D1%85-%D0%B6%D1%83%D1%80%D0%BD%D0%B0%D0%BB%D0%BE%D0%B2-%D0%B2-%D1%80%D0%BE%D1%81%D1%81%D0%B8%D0%B8-%D0%B6%D1%83%D1%80

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