これまで、10回にわたってロシアのファッションに関する歴史を紹介してきました。
ソースとしては、ロシアで出版された古い書物や、ロシア発信のウェブサイト、それから私たちブログ運営者のロシア人コネクションからの情報や画像の提供などです。今回はロシアファッション、特にロシアの地域色豊かな女性の民族衣装について紹介したいと思います。
最初にお見せしたい画像は、帽子の女性たちです。これらはロシア農民の着る衣装なんですが、なんともおしゃれで、そして帽子の形、色もにぎやかですね。そして多くの石やビーズが飾られているのが特徴です。昔からロシアの女性がファッションを楽しんでいたことが想像できます。
次はムーロム市(現ウクライナ)の1906-1907年の衣装。プライベートコレクション(カザンコフ家のアーカイブ)よりの画像ですが、このコスチュームは紀元12世紀ごろのものです。ところで、ロシア文化やロシアファッションと言いながら、古い歴史のものでは現在ウクライナ地域でもロシアと呼ぶことがあります。このブログでもそう表現していきますが、それはロシアやウクライナの前身のルーシ帝国に属していた地域を、現在のロシアの資料では丁寧にルーシ帝国と言う場合もあれば、「ロシア文化」として紹介する場合もあるからです。
ルバハと呼ばれるシャツはロシア民族衣装の1つの主な要素です。素材は、綿、麻、絹などのシンプルなキャンバスなどでできており、袖、襟、すそには刺繍があります。色と装飾品は、地域によって異なります。ロシア、ヴォロネジ地方の女性は、厳格で洗練された黒い刺繍を好んだようです。トゥーラとクルスク地域のルバハは通常赤い糸でしっかりと刺繍されています。北部と中央の州では、赤、青、黒、時には金色が好まれました。ルバハは、どんな仕事をするかによって、着付けも変えていたようです。興味深いことに、収穫のための作業用ルバハは常に豊かに装飾されており、それは豊作祈願していたためだったと言います。
上の画像のルバハは漁師の女性のためのものです。19世紀後半、アルハンゲルスク県、シャルドネム村で見つかりました。
上の画像は、ロシア、ヴォローニャ州で19世紀後半に着用されていた草刈り用ルバハの復刻版です。
現在活躍しているファッションデザイナーの中に、ロシア民族衣装をモチーフとして作品制作をしているタイス・カレリナという人がいます。この人は画家でもあり、自身のウェブサイトをお持ちです。
彼女のコレクションから1枚取り上げてみましょう。
このルバハのタイトルは、古代ロシア語の「擦り」から来ています 。というのもこのルバハいろいろな布が縫い付けられた布で、「傷跡」が多くあるからです。現在でもこのルバハを「擦り」とよぶ地方があるようです。
次に、ロシア民族衣装で最もなじみ深いサラファンについてです。
実は「サラファン」はロシアにとっての外来語でした。
「サラファン」という言葉は、ペルシャの「サランパ」を語源としています。その意味は 「頭を通して」なのです。サラファンの着方そのものですね。「サラファン」という言葉と衣装スタイルが定着したのは14世紀のことだということです。ロシアの古文書「ニコン年代記」の中で言及されています。
当時、ロシアの村々で外来語の「サラファン」という言葉は奇妙に聞こえたと言います。他に色々呼び名があったそうですが、松葉杖、ピン、クマトニク、傷、傾、等の意味がサラファンに充てられていたと言います。形状を見るとサラファンは通常台形のシルエットで、ブラウスの上に着るものです。最初は純粋に男性の衣服で、長い折りたたみ袖を持つ儀式的な意味を持つ貴族のアイテムでした。シルクなど高価な生地で作られていました。のちにその形の荘厳さから、聖職者が着用するようになり、そののちに女性の服の1アイテムになったという過程がありました。
このブログの過去の記事ではよく、昔のロシアでは「社会クラスによる衣装の違いがみられた。」と表現してきました。サラファンに限ってもう少しこの点を詳しく説明しますと、装飾の華麗さと丹念さは、実際には貴族でも農民でも大きくは変わらなかったと言う説もあります。
農民のお祝い時のサラファンをカレリンコレクションから見てみましょう。
上の画像は、史実を基にした再現サラファンですが、お祝い事のサラファンのもっとも一般的な色が表現されています。それは、ダークブルー、ブルー、グリーン、レッド、ダークチェリーです。結婚式などお祝いの衣服は、主にシルクで作られました。社会クラスが異なっても、ほぼ等しく総則が施されていたという記録があり、社会レベルの違いは、毛皮の価格や、使われる金の量や石の輝きだけだったかもしれません。
では次に貴族のサラファン姿を見てみましょう。
ロシアのサラファンを着て、キャサリン2世の肖像画。ステファノ・トレッリ作の絵画。
シュガとココシュニクのエカテリーナ2世2世の肖像。ヴィジリウス・エリクセンの絵画
サラファンを着た王女アレクサンドラ・パブロヴナの肖像画。
さすがに宮廷内で着用されたサラファンと、農民のサラファンを比べてしまうと、その違いは明らかですね。もしかしたら絵画の中だけで違うのかもしれませんが。
今回はここまでですが、次回はサラファンと併せて着られていたパネヴァやベルトについても紹介いたします。ロシアファッションヒストリー12
参考文献およびウェブサイト(すべてロシア語です):
・https://russian7.ru/post/kak-poyavilas-kosovorotka-u-russkikh/
・https://vrns.ru/analytics/1394
・R.V.サハルジェフスカヤ「衣装の «歴史:古代から近代へ」
・カミンスキーN.M.「コスチュームの歴史」
・Далю(ダーリョ)「Толковый словарь живого великорусского языка」
・https://www.culture.ru/
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