ロシア民族衣装のお店キリコシナ
ロシア民族衣装のお店 キリコシナ

ロシアファッションヒストリー15 ココシュニック1

未分類
この記事は約6分で読めます。

今回のブログはココシュニックがテーマです。ココシュニックはロシアの民族衣装の一つですが、髪飾りです。形状によっては帽子にも見えます。単に装飾性と言うだけでなく、ココシュニックを見ればその所有者の年齢、社会的地位、未婚、既婚、子供がいるかいないかなど、多くのことを語ってくれます。

これまでに、頭飾りの画像は当ブログで何度か登場しているので、興味のある方はこちらの画像も併せて見てみてください。

ロシアファッションヒストリー13 セルゲイコレクション

ロシア ファッション ヒストリー ルパシカ 12

まずは何より、ココシュニックの何枚かの画像をお見せしましょう。

ココシュニックと衣装

休日の衣装 ニジニ・ノヴゴロド
出典:https://www.culture.ru/

 

ココシュニック 
出典:lebrecht.co

休日の衣装 ブリャンスカヤ地方 出典:glebushkin.ru

18世紀ごろ、ロシアでは、女の子はとてもシンプルなリボンと花を髪飾りとし、三つ編みに編んでいました。結婚式の日、女の子の三つ編みは、頭の周りに編みなおされました。この儀式から、三つ編みを頭に巻く儀式を、「女の子を奴隷にする」という表現が生まれたそうです。華やかであるべきお祝い事の名称に、このような現実的で物悲しい言い回しを当てるところに、日本人の共感を呼ぶロシア文化の特徴があると思います。

頭を覆う伝統は、髪が負のエネルギーを吸収するという古代の考えに基づいていました。確かに髪は頭を寒さからも、外的衝撃からも守る機能はありますね。

ロシア南部地域の女性農民の衣装は、北部とは根本的に異なっていました。南部の農民は相対的に貧しく、一方北部は積極的に外国の商人と取引をしていたため、農民を含め裕福でした。20世紀初頭まで、ロシア南部の村々は最も古いタイプのロシアの衣装を着ていました 。例えば上の画像のような、市松模様のパネヴァ(スカートのようなベルトのような服)と長いブラウスです。南ロシアの衣装のシルエットは、「樽」に似ていると評されることもしばしばです。

キカ

リャザン ミハイロフスキーの農民の頭飾り
出典:リャザン歴史建築博物館

上の画像はリャザン県ミハイロフスキー地区の農民の頭飾りで、19世紀後半から20世紀初頭のものです。以下リャザンの2枚の画像も示します。

リャザンの農民
出典:ロシア民族誌博物館

リャザン県の農民2
出典:ロシア民族誌博物館

これらのリャザンの女性たちがかぶっている帽子の形をご覧ください。この左右に角のようなものが飛び出している形の帽子を «кика» 「キカ」と言います。

「キカ」という言葉は、古いスラブ語の「kyk」から来ています 。これは 単純に「髪」を意味しますが、帽子の意味は異教徒の神々のイメージにさかのぼるもので、ロシアにおける最も古い頭飾りの一つです。スラブ文化の人々の理解では、角は生殖能力の象徴だったので、成人男女だけがそれらを身に着けることができました。ほとんどの地域では、女性は第一子の誕生後に「キカ」を着用する権利があると考えられていました。キカの巨大な重量、容量(高さ20〜30センチメートルに達する可能性がある)を保持するために、女性は頭を高く上げ背筋をのばさなければなりませんでした。

ロシア正教はこのキカが異教徒のものであったため、キカをつけての教会の出入りを禁じていました。確かに今でも奇異な感じは否めません。そのためロシア全土で19世紀の初めまでには、キカはほとんど使用されなくなりましたが、リャザンでのみ20世紀まで着用されていました。

 

ヴォロネシュ オストログ地区にある若い農民のお祝いの衣装
出典:州歴史美術館

1328年のロシアのば古い記録に「キカ」から派生した頭飾りの記述があります。その一つが上の画像のような「ひづめのキカ」と呼ばれる馬や牛のひづめをモチーフにした頭飾りです。特徴は豊かに装飾され、しばしば金糸で縫い付けられました。この帽子の目的は、悪魔の悪い目から保護するためであり、このような悪魔払いがコンセプトになっています。この地方ではすべての既婚女性は休日にそれを身に着けていました。まさに最近の1950年代まで、このような「ひづめのキカ」はヴォロネジ地方の村の結婚式で見ることができました。 ヴォロネジの女性の衣装の主な色は黒と白でしたので、金縫いの「ひづめのキカ」は非常に高価な装飾のように見えたようです。リペツクからベルゴロドまで、多くの19世紀の「ひづめのキカ」が保存されており、中央地域での分布が広がっていたことを示しています。

トゥーラ ノボシエル地区の若い農民のお祝いの衣装。
出典:ロシア民族誌博物館

トゥーラの農民の衣装
出典:ロシア民族誌博物館

ロシアの異なる地域では、しばしば同じような頭飾りが異なる呼び方がされています。用語だけをとってみても、ロシアの多種多様な頭飾りを分類すると40種あるといいます。つまり17世紀頃の多くの地域では、40種の頭飾りが既婚女性のためのものとして存在していたということですね。この顕著な一例が上図の「トゥーラのカササギ」です。カササギの開いた尾をイメージしたもので、リボンを用いて孔雀を表現しました。このような衣装の女性は、トゥーラ地方では、通常、結婚の2〜3年後まで休日に身に着けてられていたといいます。

いかがでしたか?ココシュニックをご存じの方がいれば、今日お示ししたものは「おや、ちょっと地味だな」という感想を持たれた方も多いかと思います。今回は古い型をお見せしました。今日はここまでです。次回もココシュニックの話題を続けますが、もう少し見慣れた型をお見せいたします。

ロシアファッションヒストリー16 ココシュニック2

 

参考文献およびウェブサイト(すべてロシア語です):
https://russian7.ru/post/kak-poyavilas-kosovorotka-u-russkikh/
https://vrns.ru/analytics/1394
・R.V.サハルジェフスカヤ「衣装の «歴史:古代から近代へ」
・カミンスキーN.M.「コスチュームの歴史」
・Далю(ダーリョ)「Толковый словарь живого великорусского языка」
https://www.culture.ru/

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました