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ロシアファッションブログ142 ロシア料理の歴史4

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出典:https://zhenskie-razgovory.ru/zdorove/prodykty-zamedlyayushie-starenie.html
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ロシアファッションブログ142 ロシア料理の歴史4

ロシアファッションブログです。今回は「ロシア料理の歴史」シリーズ4回目です。前回は「19世紀の貴族のロシア料理がフランス料理の影響を受けている」というお話まででした。

今回は同じ19世紀、貴族の家庭でも、農民など一般の家庭においても普及したロシア料理を見ていきましょう。

 

社会階級を問わず普及したロシア料理

農民・労働者階級の家庭と貴族層の両方で継承された料理としては、まずキャベツのスープが代表的なものです。

ロシア料理の歴史上」重要な キャベツのスープ

ロシアのキャベツのスープ
出典:https://jaruco.jp/russia/wp-admin/post.php?post=4028&action=edit

もちろん、これは労働者階級から、ロシア全土でポピュラーになった料理です。19世紀半ばのモスクワやサンクトペテルブルグなどの都市の労働者は、主人(雇用主)から焼きたてのパン、ゆでた牛肉または魚、植物油、そば粉、キャベツ、ジャガイモ、玉ねぎ、きのこ、塩などを現物支給として受け取りました。

これらの食はをすべてカロリー換算すると、労働者に1日あたり4,500キロカロリーを提供すると推定されました。これは、激しい肉体労働に従事する成人男性の1日あたりの必要量にほぼ相当します。このリストには牛肉が約230グラム含まれていますが、現代人から見てもこれはかなり多いですね。興味深いことに、雇用主と契約を結ぶとき、労働者は常に日々のメニューに肉の存在を主張していたようです。一方、自分のお金で食べ物を買うときには、必ずしも牛肉を購入したわけではなく、彼らはまったく別の食材やウオッカに費やしました。

出典:https://kulinaria1914.ru/800/600/https/kulinarenok.ru/img/steps/31022/15-2.jpg

面白い統計があります。1860年代から70年代にロシアの労働者にアンケートがなされました。これは、労働者階級の代表者、農民の代表者に、彼らの日常生活、特に農奴解放後にの食事に何か変化があったかを尋ねたとき、労働者の80%が変化したと答え、これらすべての変化はより良いものになったとの回答でした。

農民反乱を指導したエメリヤン・プガチョフ
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%81%AE%E8%BE%B2%E5%A5%B4%E5%88%B6#%E8%BE%B2%E5%A5%B4%E8%A7%A3%E6%94%BE%E4%BB%A4

つまり、1860年代の改革後に労働者の食事全体が改善されたのです。一方農民の方は同じ質問をされたとき、答えは異なっていました。調査対象の農民の40%だけが彼らの栄養の改善があったことを回答し、残りは否定的な回答でした。

19世紀のロシアの農民の食事は、彼らの住む村がどこだったのかに大きく依存していました。村が大都市からそれほど遠くない場合、または鉄道が近くにある場合、農民は農作物を販売することができ、経済状態が大幅によくなっていきました。さらに農業以外に手工芸に従事し、工業製品を売ることができた村は、はるかに豊かに暮らしました。そうでない村の人々はより困難な環境になるばかりでした。

そうした状況にあっても、食事の質や量は、ロシア全土で徐々に良くなっていったのは事実で、消費統計をまとめることができるようになると、20世紀初頭には貧しい農民でさえ、重労働を行うのに必要なだけのカロリーを受け取っていたことがわかっています。

これら労働者や農民の食事は、19世紀以前と同様に、パン、お粥、スープなど加工された穀物が主なものでした。新鮮な肉は家畜が屠殺される時期、つまり晩秋にしか出回らず、いわば季節商品でした。また肉の季節性は、キリスト教の暦にも関連しています。肉は水曜日と金曜日に食べることはできず、他に四旬節などの断食中も禁止された食材でした。そのため数ヶ月間保管した質の悪くなった肉の調理方法が多く考案されました。例えば、炭をスープに加え、数分間煮ると、腐ったような肉の臭いが消えるなどです。そしてまた、スパイスの発達もまた、劣化した肉の調理法に関連していました。

出典:https://chistodoma.com/borba-s-zapahami/chem-ubrat-zapah-tuhlogo-myasa-iz-holodilnika.html

 

このように肉が貴重であった社会で、女性たちは創意工夫をこらし、断食、特に6月のピョートルの断食の期間、サワークリームやバターを作り、それらは家族のお祝いのために消費され、またはそれらが販売されもし、その収益は肉を購入するために使われました。

農民の小屋 1821年 ©アートメディア/プリントコレクター/ゲッティイメージズ

 

こうした経済の流れは、農民生活の困難な状況から抜け出すことを可能にした非常に重要なメカニズムだったと考えられています

 

一般家庭(労働者階級)のロシア料理の栄養価

農化学者のアレクサンダー・エンゲルガルトは、19世紀の終わりに著した 『村からの手紙』で、栄養に関連したロシアの農民の並外れた実用的な食事を強調しています。

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彼は農民にとっての食事で実用的であったかを次のように説明します。

「これは、重い食べ物と軽い食べ物のバランスのことです。きのこ、牛乳、野菜などの軽い食べ物に加えて、働くためにはボリュームのある(硬い)食べ物を食べる必要がありますが、これは非常に重要なポイントです。」

エンゲルガルトの観点からすると、硬い食品とは、多くの栄養素を含んでいるが消化しにくい食品であり、ゆっくりと消化され、腸内に長時間とどまるものを指します。そのような食品には、ライ麦パン、良質の脂肪のコンビーフまたは塩漬け豚肉を添えたキャベツスープ、またはラードを添えたそば粥が含まれます。ロシアの農民は、酸が食品の必要な成分であると考えていました、、酸っぱいキャベツスープが大好物でした。またエンゲルガルトは、「農民はあらゆる食事でも肉を好む」とも述べています。

 

出典:https://rusunion.com/gastronomicheskiy-turizm-top-10-gastronomicheskih-regionov-na-karte-rossii/

肉は常に農民の環境での間で家族の繁栄のしるし、繁栄の主な基準と見なされてきたことに注意する必要があります。「人はスープのために、そして肉のために結婚する」という諺は、ロシアの農民の結婚観を示しています。「男性は常にオーブンで作った昼食をとる目的で結婚し、女性は夫が彼女らに食材を提供するために結婚する」という諺もありました。富は肉でした。

肉に加えて、ロシアの農民のメニューにはジャガイモが準主役となり、それはロシア一般食の不可欠な材料になりました。ライ麦や小麦の収穫量が少ない年には、ジャガイモをパンに加えることが推奨されていました。

そして全粒粉パンは特別なものではなくなり、大多数の農民の家族が利用できるようになります。ひまわり油は他のすべての種類の植物油にも取って代わりつつあります。最後の重要な製品である砂糖も安くなり、手軽な製品になります。より繁栄している家庭では、シリーズ最初にですでに述べたように、コーヒー、レーズン、プルーン、チーズ、アーモンド、ソーセージなどの製品が登場し ます。

その後、ロシアは第一次世界大戦に近づき、料理の歴史とロシア国家の歴史において全く異なる段階が始まります。

次回をご期待ください。

 

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