ロシア民族衣装のお店キリコシナ
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ロシアファッションヒストリー78 ロシアの女性誌2 

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ロシアファッションブログです。前号から「ロシアの女性誌」シリーズを掲載しています。では、前回に引き続き、20世紀初頭に出版された個々の女性誌をみていきましょう。

 

«Женская жизнь»「女性の生活」

革命以前から、女性運動の問題が広がり、女性をとりまく経済・社会情勢がより広く取り上げられるようになり、出版物全体のタイトルに反映されるようになりました。このような背景から「主婦と女性の生活のための雑誌」という雑誌が創刊されましたが、1914年、このトピックに対する大きな需要により、「女性の生活」と改題され、趣は全く別の出版物となりました。よって、今取り上げている雑誌「女性の生活」は、実質的には1914年創刊の女性誌と言ってもよいでしょう。

「女性の生活」1915年
出典:https://olga-srb.livejournal.com/259685.html

この雑誌の目的は、社会や国家の問題に無関心ではなく、男性との平等の権利を求める独立した「新しい女性」を教育・啓蒙することでした。フェミニズムっていうやつですね。

通常20ページから32ページの構成で、硬い記事が多く、それでも最後の2ページは、常にファッションのセクションで占められています。コラムが面白く、ユーモラスな写真、有益で興味深い小記事、女性に関する著名人の考えが掲載されていました。

https://olga-srb.livejournal.com/259685.html

この雑誌の主要なセクションは、女性の生活と海外の記事でした。ロシア国内と国境を越えた女性の生活の変化についての資料を含んでいました。また、各は、アート、音楽、演劇に関する記事も掲載されました。「女性の生活」誌では戦争の勃発に伴い、戦争関連の記事も登場します。「若いクレーン」という題名の記事は戦争のために集まっている青少年について書かれたものでしたし、死んだ兵士についての「彼らはすべて捕らえられている」、「スピリット」「死者を悼む女性について」「聖なる憎しみ」「ドイツ人、N。コロコロフについて」などの題名の記事が書かれました。

https://olga-srb.livejournal.com/259685.html

批評セクションでは、文学作品の女性像に関する資料が掲載されていました。中には有名な詩人のセルゲイ・イェセニンなども寄稿していました。記事の題名として「Woman on Women」、「Traders on a Woman」、「Poetry of Modernity and a Woman Poetess」、「強い女性を探している」などというのもありました。1915年の第22号から、「女性の生活」誌に「自己教育学科」と言われるコーナーが登場しましたが、これは読者に雑誌の作成に参加してもらおうという企画でした。1916年の第4号では、「私生活における女性の問題について話し合う」ことを目的とした「モナリザの会話」というコーナーが登場しました。しかし、こうした試みは、実はこの雑誌の販売部数が落ち始めていたことの裏返しとしてなされていたことがわかります。雑誌「女性の生活」は1916年の12号を持って幕を閉じます。その理由の1つは、フェミニストの出版物が革命前のロシア社会では十分な人気がなかったためと考えられています。革命を生き延びれば、政府のイデオロギー戦略にうまく乗れたのかもしれません。

https://olga-srb.livejournal.com/259685.html

 

«Журнал для женщин»「女性のための雑誌」

1914年から1918年まで、「女性のための雑誌」がモスクワで発行されました。この隔週刊の出版物は、「女性そして女性の関心事」に特化したものでした。次のような紹介記事が載りました。

「女性のための雑誌」1915年
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「いつでもどこでも、私たちは女性の親友になりたいです。貴女と一緒に、私たちは女性の運動の道をたどり、貴女と一緒に私たちは精神的な必要性に興味を持ち、愛について、嫉妬について、結婚について、家族について、貴女と社会との関りについて話します。」

女性のための雑誌」1915年
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編集者はまた、「お化粧の知識と秘密を共有し、最新のファッション、劇場(お芝居や音楽)、ドレス、裁縫についての情報提供」を約束しました。一方、この「女性のための雑誌」は男性の間でも読者を見つけ、女性の問題の議論に彼らを引き付けることを計画しました。ブログ筆者はこれはいい戦略だと思います。先述したように女性雑誌の編集は主に女性のみで行われていましたから、男性の視点が入ることは、より女性読者へ考え方の普遍性を付与することになりますから。

女性のための雑誌」1915年
出典:
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さてこれまで19世紀から20世紀初頭のロシアの女性誌の内、より文学的・社会的要素の強かった雑誌を取り上げました。次に、よりファッションに特化した雑誌を見ていきましょう。

 

ロシアのファッション誌

20世紀の初めに、ファッションの分野で継続的な情報を必要とする読者層がいることを認識した人がいます。こうした需要に答えるため、これまで見てきた総花的な雑誌の他に、よりファッションに特化した女性誌も存在しました。当時の、アンドレイ・ベリービャチェスラフ・イワノフなどの著名なファッションライター、というよりロシアで著名な作家が記事のライターを勤めていました。

アンドレイ・ビリー
出典:Public Domain

ビャチェスラフ・イワノフ
出典:Public Domain

これらのカテゴリーに入る雑誌は以下の通りです。

 «Ворт»「ボルト」 (1905–1913),

Volt 1905 年
出典:https://humus.livejournal.com/2388899.html

«Домашняя портниха» 「Home Dressmaker」(1906–1908) 後にWomen’s Wealth(1908–1909)およびFeminine World(1909–1911)

«Парижанка» 「パリジャン」(1908–1910)

パリジャン 1909年
出典:http://www.nasledie-rus.ru/podshivka/pics/6405-pictures.php?picture=640502

«Модный курьер» 「ファッショナブル・クーリエ」(1900–1910),

ファッショナブル・クーリエ 1900年
出典:https://mosvintage.ru/shop/modnyj-kurer-polnyj-godovoj-komplekt-damskogo-zhurnala-za-1900-god/

«Иллюстрированный журнал белья и рукоделия»「リネンと針仕事のイラスト入りの雑誌 」(1901–1907),

«Белье и вышивки» 「リネンと刺繍」(1909–1916)


リネンと刺繍 1911年            出典:https://www.livemaster.ru/item/32348930-vintazh-1911-god-bele-i-vyshivki-antikvarnaya-moda-1

 

«Столица и усадьба»「資本と土地」(1913年–1917)

ファッション誌にしては面白いネーミングの「資本と土地」は、非常に特色のある雑誌でした。出版社オーナーであり編集者だったのは、有名な実業家でありかつ慈善家のウラジミール・クリモフでした。この雑誌はロシアの貴族的な生活様式を取り上げ、「流行」を上流階級の人々の好み・習慣として解釈しました。特に、この雑誌の主張はファッションより数年遅れることが、上流社会の最も重要な要件の1つであると書いており、定着した流行を本物であるとしています。

雑誌「キャピタルアンドマナー」

雑誌「キャピタルアンドマナー」

雑誌「キャピタルアンドマナー」

 

 

社会政治に関連した女性誌

20世紀初頭、つまり19世紀からの変わり目と言っていい時期にに、女性向けの新しいタイプの雑誌がロシアに登場しました。それは社会的・政治的なもので、女性運動が活発化するイデオロギーの方向づけの基礎となったようです。これらの雑誌は女性運動への活発な参加者・支持者を対象とし、彼らの社会的・政治活動を支援していました

このタイプの雑誌としては以下のものが挙げられます。

«Женский вестник» (1904–1917), 「Women’s Bulletin」(1904–1917)、

«Союз женщин» 「Union of Women」(1907–1909)、

Union of Women 1909年
出典:https://moscowseasons.com/news/borba-za-znaniia-glavarkhiv-ob-istorii-vysshego-zhenskogo-obrazovaniia/

20世紀初頭に登場した女性向けの社会誌および政治誌は、「平等と選挙権のための闘争」、「ロシアの女性問題の理論武装」に力を注いでいました。やはり焦点が狭いため、出版物の発行部数は少なかったようです。

しかし、以下の雑誌のみは、1914年創刊から現在に至るまで、途中、廃刊と再創刊を繰り返し、現在まで残っている唯一の女性誌です。この雑誌一つを紐解くだけでも、ロシアのファッションのみならず、革命直前から今日までのロシア女性誌を垣間見ることができるでしょう。次号はこの雑誌を特集します。

«Работница» 「Worker」(1914– present)

Worker
出典:https://zen.yandex.ru/media/id/5bcf96a6ba083000aa051e16/liubimye-jurnaly-1-rabotnica-5c2f616a5c17e000a985d47f

 

いかがでしたでしょうか。やはり100年前からファッションに特化した女性誌は存在していたのですね。次回は、1つの雑誌をじっくり観察してみます。

 

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