前号、前々号ではロシアファッションとしての頭飾り、ココシュニックについて紹介しました。ココシュニックが日常的にかぶられていたのは19世紀までであり、その後はスカーフ、ロシア語ではプラトック(платок)にとってかわられることを説明いたしました。
今回はプラトックの話です。プラトークと表記されることもあります。
ではYoutubeで見つけたプラトックの歌なぞお聴きになりながら、つたない文章をお読みください。
プラトックの歴史
プラトックの歴史は、17世紀の裕福な商人のファッションアイテムとしての登場に始まります。その1世紀後、ペルシャ語の「ショール」はロシア語彙に入り、大きなパターンのものは「プラトック」と呼ばれ始めました。その高価な贈り物は、通常、花嫁へのプレゼントとしての役割を得、その後母娘の間で相続によって継承されていきました。
18世紀と19世紀には、ロシアで各種柄のプラトックの大量生産が農業地域で始まりました。プラトックの工業生産ができたのは農場における各種機械の経験があったからです。農民たちはプラトック生産のための機織り機、使用塗料を工場で管理しましたし、その後、蒸気機関が、手動生産に置き換えられますが、農業機械も同じ趨勢ですので、織物の工業生産化への移行は容易でした。大量生産が始まった後すぐにロシアのプラトックやショールは、国際的な展覧会で賞を獲得するようになり、有名になっていったわけです。
プラトックとショール
ところでロシアにおいて髪や首回りに飾る布は2種類つまりショールとプラトックに分けられます。ショールは基本的には無地のウール製で、着色をしないことが多いです。一歩プラトックは、これまでの画像のように主に絹で、ロシア的なイメージの絵や柄が染色されます。機能的には、冬の涼しい夜はウールのショールがその暖かさでよく使われ、シルクのスカーフは、その冷却効果で夏の暑さから身を守ってくれるため、夏に使うという使い分けがなされていました。
プラトックがカラフルになるのは19世紀からで、木製の彫刻を使って、版画として生地に描かれるようになったころからです。当初、木の彫刻をそのまま使っていましたが、それは手間のかかる生産方法でした。よってその後、木の彫刻は一定の深さに焼かれ、それから鉛を注いで型を取るという工法に変わりました。この伝統は今まで守られています。
パヴロヴォ・ポサドの歴史
ロシアのプラトックの話をする場合、その生産地でもあり、ブランドでもある「パヴロヴォ・ポサド(павловопосад)」を語らないわけにはいきません。
モスクワから東に向かった、都市に近い村です。
「パヴロヴォ・ポサド(павловопосад)」のプラトックは、すでに200年以上にわたり世界中の女性に慕われてきたポピュラーな装飾品です。伝統的なスタイルもトレンディなスタイルも、いわゆるロシア発信のファッションとして世界に受け入れられたブランドです。
1795年から現在までの間に、モスクワ地方の「パヴロヴォ・ポサド工場」でロシアで最も有名なアクセサリーの1つプラトックが作成されてきました。このプラトックが完成するまでに実に約3ヶ月かかるということです。当初、工場は裕福な農民セミヨン・ラブジンという人によって取得されました。戦争など工場の隆盛に紆余曲折はありましたが、1950年代、ラブジンの孫のヤコフ・イワノビッチと仲間のヴァシリー・グリヤズノフは、継承された工場でプラトックの量産を再開しました。20世紀初頭、この2人のパートナーシップ企業は、ロシアにおけるプラトックとショールの最大の生産工場となりました。2006年には、この工場が、ロシア伝統を守り海外に紹介してきた功績がたたえられロシアの国家栄光勲章を授与される程になりす。
上の画像はパブロヴォ・ポサド歴史芸術博物館の写真: N. イユウキン/「ロリ」フォトバンク
代表的なプラトックの絵柄
パブロヴォ・ポサド工場で作られたハンカチはそれぞれ、絵描き職人自身が名付けた絵が描かれています。それではロシアの通販サイトから代表的な絵柄の製品をご紹介しましょう。それらは「緋色の花」と「スペイン」、そして「クレーン」、「サマルサンド」などです。
緋色の花
スペイン
クレーン
サマルカンド
今のファッション界におけるパヴロヴォ・ポサドのデザイン
パヴロヴォ・ポサドのプラトックの基本的なデザインは、ロシアとヨーロッパのファッションデザイナーの両方のファッションショーで頻繁に応用されています。ロシアのデザイナーのヴャチェスラフ・セイツェフはいくつかのコレクションをパヴロヴォ・ポサドをベースに制作しています。
また別のデザイナー、アンドレイ・シャロフはパヴロヴォ・ポサドの絵をシルクのスカートやワンピースに応用しました。
さらにデザイナー ヤナスタシア・シェフチェンコも、ロシアやパヴロヴォ・ポサドをモチーフとした、婦人服、紳士服、スポーツウェアなどを手掛けています。
さて、みなさん、いかがでしたでしょうか?
スカーフとしてのプラトックの絵柄はそれほど派手ではありませんし、多少目立つものでも日本においてもシーンに合わせた着用が期待されます。絵柄を取り入れたコスチュームになってくると、ファッションショーに出るような派手さのものを着るのには少しの勇気がいりますね。
それでは次回もロシアのファッションに関係する話題を提供していきます。ロシアファッションヒストリー18 ヴァレンキ
参考文献およびウェブサイト(すべてロシア語です):
・https://russian7.ru/post/kak-poyavilas-kosovorotka-u-russkikh/
・https://vrns.ru/analytics/1394
・https://www.culture.ru/
他
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