ロシア民族衣装のお店キリコシナ
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ロシアファッションヒストリー18 ヴァレンキ

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前回は頭の飾り、プラトックのお話でした。ロシアファッションヒストリー17 プラトック(スカーフ)

では今回は足元のおしゃれについて紹介いたしましょう。

ヴァレンキとは?

「ヴァレンキ」というロシアのブーツですが、最初に代表的な画像をご覧ください。一般に履かれている実用的なものと、

次がお土産や装飾用に用いられる華やかなデザインのものです。

土産物店のヴァレンキ

 

ヴァレンキの成り立ちは考古学者の研究により学術的にある程度明らかになっていものの、もしロシア人にヴァレンキを定義するようお願いすると、「ロシアの田舎の長靴」くらいしか返ってこないでしょう。それだけロシアの地方にとっては今でも当たり前すぎて、ルパシカやサラファン以上に身近なものなのです。試しにロシア語辞典を引くと、「ヴァレンキはウールでできた靴やブーツの一種。」と記されています。もちろんwikipediaを引けば写真付きでもっと詳しく書いてあります。

ワーレンキ - Wikipedia

は日本語版ですが、まだ書きかけですし(2020年3月4日時点)全く詳しくありません。

Валенки — Википедия

はロシア語版で、これを翻訳して読んだ方がまだわかりやすいと思います。このブログを読み続けていただいた方がいいかも知れません。

このブーツを理解していただくためには、現在のヴァレンキの製法から説明した方がいいかもしれませんね。

 

ヴァレンキの製造プロセス

ヴァレンキの製造プロセスは非常に長く、特定のスキルを必要とします。職人は、まずフエルトを製造しなければなりません。フエルトとはヒツジやラクダなどの動物の毛を圧縮してシート状にした繊維製品を総称したものです。織物ではないので、不織布ともいいます。ロシアにおけるヴァレンキは通常羊毛のフエルトを使用します。

昔のフエルト作成機

羊毛は夏毛でなくてはなりません。そうでないと柔らかさが保てず、肌触りが悪くなります。羊毛から、草の葉、とげなどの不純物が取り除かれ、細かい断片となって柔らかくふわふわした塊になります。圧縮段階ではフェルトブーツの壁が同じ厚さになるよう、厚みを慎重に確認します。ブーツの壁が薄くなったしまった場合、そこに薄いウールのパッチを張らねばならず、耐久性も装飾性も悪くなってしまうからです。

現在もヴァレンキは昔ながらの方法でつくられています。フエルトを作り、その後の靴型の成型、装飾の過程をまとめた動画を見つけたので、参考までに張っておきます。

動画には表れていませんが、昔ながらの従来の技術に加えて、現在のヴァレンキの製造には多くの「秘密」がありました。例えば、フェルトを黒くするために、ミョウバン、硫酸銅、青白檀が使用され、色をクリアーにするために、新鮮な牛乳と混ぜた薬液をフェルトに擦り込んで乾かすという作業を繰り返すこともあります。他にも、十分な耐水性を達成するために、ガソリンに溶解したゴムが使用されたりしています。ブーツの装飾と形状も非常に多様で、刺繍、アップリケ、鳥の色とりどりの羽の飾りつけなどがなされています。そしてブーツの形状も非常に多様です。

多様なヴァレンキ

 

ヴァレンキの歴史

ロシアで最初のブーツと考えられているものは、アルタイ山脈のパジリック塚の永久凍土、つまりツンドラで見つかった遺跡で発見されたものです。これは羊毛製で、紀元前4世紀にさかのぼります。当時人々は羊毛から帽子や服を作っていました。ファッションの歴史家は、遊牧民が靴を発明し、社会に流布したと考えています。つまり、「モンゴル・タタールのくびき」のひとつとして、彼らのブーツを原型として 、ヴァレンキによく似たブーツがはロシアの村や都市に登場したわけです。では少し、ロシアにおけるヴァレンキの歴史を紐解いてみましょう。

まずフェルト製の靴ですが、毛糸によるブーツそのものは紀元前から認められるものの、ロシアにおいてフェルト技術が完成するのは18世紀になってからです。よって、ヴァレンキをフェルト製のブーツとする定義によれば、18世紀前後がその起源となります。

革命前、1917年前のロシアでは、フェルトを作るための圧延および圧延製品の生産の中心地は、トヴェリ州のカリャジンスキー地区、ニジニノヴゴロド州のセメノフスキー地区、コストロマ州のキネシマ地区、およびカザン州ククモールの村でした。1900年、ロシアのブーツ製造工場は合計140万ペアのブーツを生産し、合計売上金額は210万ルーブルでした。この時点で、1足のブーツのコストは1.5ルーブルでしたが、1920年までにその価格は2ルーブルまで上昇しました。工場生産されているにもかかわらず、金など宝石とともに投機対象にもなっているほど高価で貴重なものでした。

18世紀の半ばに、フェルトの中心はヤロスラブリ州になりました。この理由は、地元の農場での羊の積極的な繁殖でした。フェルトブーツの生産に最適な原材料は、フェルト化能力が高いため、ロマノフスカヤ種の羊毛でした。1904年にヤロスラヴリ州で、ブーツ製造の最大の企業が設立されました。現在「ヤロスラブリフェルト靴工場」としてまだ残っています。

現在のヤロスルブリ社の工場内
出典:https://yarreg.ru/articles/ne-levye-ne-pravye-s-podoshvoy-ne-dyryavye/

 

さて、ヴァレンキについても他のロシア民芸品や民族衣装のように面白い多くの逸話があります。ヴァレンキの逸話は特に興味深いものが多いので、次回はヴァレンキ逸話特集を組みたいと思います。お楽しみください。ロシアファッションヒストリー19 ヴァレンキ2

 

参考情報:

 

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