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前回まで、ロシアの発明シリーズをお届けしてきました。今回からは、「ロシアのお茶の歴史」がテーマです。
今日、お茶は水に次いで世界で2番目に人気のある飲み物と言えましょう。日本の緑茶のように、ロシアでもお茶はそれを入れる独特のスタイルを含め、現在では国民的な飲み物と考えられます。しかし、このように現在のお茶が普及する前の飲み物はどうであったか、ロシアの歴史家 イヴァン・ソコロフは、お茶が到着する前からの飲み物の歴史と、最終的にどのようにお茶がロシア文化で最も重要な位置を占めたかをまとめました。主に、この情報を参考にロシアのお茶の歴史を考察していきます。
お茶が輸入される前のロシアの飲み物
お茶は17世紀に初めてロシアで登場しましたが、それまでの最も重要な伝統的なロシアの飲み物は、いわゆるブズバル(взвары)というものでした。これは、ヨーロッパロシアで収集され、乾燥されたハーブやベリーの煎じ薬と言える飲み物でした。各地域のブズバルは、地元の植物相の特性によってそれぞれ特色があるものでした。
ブズバルに加えて、スビテン(сбитень)とクワス(квас)が飲まれていました。お茶の登場により、20世紀初頭までこれらはロシアの主要な国民飲料として共存していました。
スビテンは、蜂蜜とスパイス(生姜、セージ、セントジョンズワート、シナモン、ナツメグ)をベースにした温かい飲み物です。
嫁は1960年生まれですが、もうその頃は一般的な飲み物としては消滅していたそうです。一方、彼女が子供のころの飲み物として、クワスはまだ一般的でした。
これは、ライムギを酵母で発酵させて作るのが一般的ですが、19世紀の初めまでに、さまざまなハーブとその組み合わせ、サクランボ、ラズベリー、イチゴ、リンゴ、ナシ、蜂蜜、レーズンなどを原料とした、1,000を超える様々なレシピがあったことがわかっています。
我が家でも、嫁が時々作りますが、オリジナルクワスは飲みなれないと日本人にはライムギの独特な香りが厳しいかもしれません。
ロシアにおけるお茶の登場
お茶は中国からロシアにやって来たものです。1638年、中国のお茶が皇帝ミハイル・フェドロヴィッチの宮廷に贈り物として持ち込まれました。中国は長い間世界市場へのお茶の供給を独占し続け、その生産技術は輸入国内では謎に包まれていました。17世紀の終わりまで、ロシアではお茶は薬としてのみ消費されていました。
ロシアでは次の2種類のお茶が主に流通していました。キャラバンというお茶(別名キャフタ)は、グレートティールート(茶馬古道)に沿って陸路で運ばれました。また 、カントン(広東)というお茶は中国から海上で輸出され、ヨーロッパを経由してロシアに到着したものです。
最初のお茶の「キャフタ」という別名は、ロシアの中国との貿易の要衝の1つとなった現代のブリヤート共和国の領土にある要塞キャフタからつけられた名称です。お茶との物々交換で最も人気のあった商品がロシアを代表とする産品の毛皮であることから推察できるように、キャラバン茶はロシア文化に深く浸透し、民間伝承にもその痕跡を多く残しました。
お茶を運ぶのは多くの危険を伴う行為でした。輸送途中、キャラバンはしばしば略奪にあいました。というのも、磁器や布になどの商品とは異なり、新しい容器に入れ替えてしまえば、お茶は運ぶのも隠すのも容易で、強盗を捕まえることはほとんど不可能なためです。このため、お茶を運ぶために商人に雇われたシベリアの農民は、大きな群れを作らなければならず、負担がかさみました。1880年代には、多くの輸送請負人は、お茶を運ばなことを拒否したという記録があります。
そのような困難にもかかわらず、ロシアへのお茶の供給は急速に増加しました。18世紀の終わりまでに、それらは中国からのすべてのロシアの輸入額の30%を占め、19世紀の半ばまでにすでに90%を占めるようになっていました。
お茶による収益は、当時の財閥を潤し、貿易と金融の重要な原資となりました。お茶から得たお金は他の産業分野に流れ込み、例えばロシアの保険会社や銀行資本大きく占める役割を果たしたということができます。
ロシアのお茶の歴史は次回も続きます。
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