ロシアファッションブログです。これまでロシアの発明シリーズとして15回の連載をしてまいりました。16回目の今日を一応のロシアの発明シリーズの最終回といたします。今回取り上げるのはロシアの19世紀の発明ですが、20世紀になるとロシアの発明を離れてソビエトの発明特集を別途掲載したほうがよさそうです。それほどソ連時代の発明にも面白いものがあります。
さて、ロシアも19世紀になってくると、近代技術関連の発明が多くなってきます。例えば、電気溶接、モノレール、電気モーターなど様々なものがロシアの発明としてありますが、これらは多岐にわたり、より専門的な記述になりますので、当ブログではより身近な発明に絞って19世紀のロシアの発明を記述することにいたします。
粉ミルク
さて実際のところ、粉状のミルクの存在はマルコ・ポーロが書いており、モンゴル の軍隊フビライ・ハーンの時代に、「ペーストのようなもの」として日干しスキムミルクをについて記録しています。
一方、粉ミルクを保存のための用途として、生産プロセスとして開発したのはロシアの医師OSIP Krichevskyが最初で、 1802年のことです。粉ミルクの最初の商業生産は、1832年にこれもロシアの化学者M. Dirchoffによって行われています。
ロシア風サラダ
ロシア風サラダはロシアではオリヴィエサラダと呼ばれています。欧州ではほとんどの国で、それぞれの国の言葉でロシア風サラダと呼ばれます。1860年代から1883年にかけてルシアンオリヴィエが監督したモスクワのエルミタージュレストランの代表的な料理でした。
このサラダは、工業的に生産されマヨネーズが比較的手頃な価格になった1960年代から1970年代という時代に、家庭料理としても大きな人気を博し始めました。
元素の周期表
あの化学の授業の時にならった元素の周期表ですが、発明者はドミトリーイワノビッチメンデレーエフということで、ロシア人が作り出した表であるということを認識しておられた読者の方も多いかもしれません。
メンデレーフは何年もかけてこの周期表を完成させていきますが、当初は世界の他の科学者からは必ずしも認められていませんでした。というのも、当時の元素周期表にはまだ発見されていなかった元素、例えば、ガリウム、スカンジウム、ゲルマニウムなどは、未知のもの、あるいは整合がとれないものとして理解されていたからです。その後、これら及び更なる元素が発見されるたびにメンデレーフの周期表が正しいものであることが認識されるようになりました。
マトリョーシカ
ロシアのマトリョーシカがロシアの発明であることは言わずもがなのような感じですが、ここでは逆説的に説明します。というのも、このマトリョーシカの発想の根源は、箱根の名産品だった七福神の入れ子人形とされているからです。
19世紀の終わり、有名な産業家で慈善家であったマモントフ氏 が日本から入れ子人形を取り寄せ、それに魅せられたマモントフ氏が、セルゲイヴァシリエヴィッチマリユティンが絵を描き、ヴァシーリー・ペトロヴィッチが彫刻したものが最初のマトリョーシカになりました。
さていかがでしたでしょうか?
マトリョーシカは世界的にも有名なロシアを代表する民芸品で、多くの人がロシアの発明と言いますか発想と理解していると思います。もちろんロシア通で、マトリョーシカの歴史にお詳しい方におとっては常識だったかもしれません。
いずれにせよ、このシリーズを通して筆者が勉強させてもらった一つの事実は、どこの国のだれかがあるものを発明したということが世界に認識されたとしても、実は世界には認識されないまま他の人が発明していたり、あるいは発見していたりという場合がとても多い、ことです。
発明という名誉が、進歩のインセンティブになっていることは肯定的に見なされるべきでしょうが、最近は、いずれ誰かが考え出したでしょうよ、というクールな見方をするようになりました。考えてみれば名誉がインセンティブにならなくても、ヒトには探求心という本能が備わっているはずですから、この探求心の強さで成果を出す人は誰にも認められずともかなりの幸福考えられているはずですね。
ロシアファッションブログは続きます。
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