ロシアファッションブログです。ロシア・スラブの伝統的なお祭り、マスレニッツアの特集を組んでいます。前回はこのお祭りの宗教的な背景をご紹介しました。今回は知られざるマスレニッツアの伝統、週間、儀式をお伝えいたします。これで読者の皆様もロシア人以上にマスレニッツアを深く理解することになります。
マスレニッツアの習慣や特徴
1.乳製品の多用
このお祭りに関する、最初の興味深い習慣は、牛乳をふんだんに飲むことです。これは教会の指示であることはすでに述べました。しかし、牛乳、カッテージチーズ、パンケーキ、サワークリームは、ロシアのキリスト化のずっと前からスラブの祖先のテーブルにのっていました。
現実は、冬の後で初めて3月の終わりに牛が落ち着き、牛肉が家に現れたということにつきます。この時期は冬の牛の屠殺は非常に難しく、古い肉の在庫の終わりが間近に迫っているという時期です。よって、乳製品と小麦粉製品がエネルギーとビタミンの主な供給源でした。したがって、マスレニッツア(意味はパンケーキ料理)という名になったのです。
2.木片の人という伝統
このお祭りあるいは休日の別の(おそらくもっと古い)名前、つまりマスレニッツア以前の名称は Kolodyです。それは人々の生活の習慣と結びついており、後にウクライナとベラルーシも同様の儀式が伝わりました。kolodyの間、他の儀式とともに、農村部の女性は非常に面白い儀式、「木片の生活」というものを行いました。彼らは木の棒を集め、それを色つきのリボンなどで着飾って、それを人として扱いました。
月曜日に、木片の人、Kolodyが「生まれ」、火曜日に「洗礼を受け」、水曜日に「人生のすべての瞬間を経験し」、そして木曜日にKolodyは「死に」、金曜日には「埋葬」され、土曜日には「悲しみ」というのが一連の儀式です。このようにマスレニッツアの前身から、その主題は生と死だったわけです。
そして日曜日に、kolodyの儀式のクライマックスがやってきます。儀式の間中、女性たちは村の埋葬されたKolodyと一緒に歩き、独身の若者に引き合わせました。もちろん彼らの両親のことも忘れず、きちんと引きあわせます。
ロシアではKolodyの伝統は薄れつつありますが、ウクライナではマスレニッツアとKolodyの名称は併用して使われますし、上述の古い伝統は今も生きています。Kolodyの画像2枚はウクライナのウェブサイトを参照しました。このことを知っているロシア人は多くはいません。
3.女性の役割
マスレニッツアの次の特徴は、その期間中の「女性の役割」です。ざんげ節は人々の間で「おばあちゃんの1週間」とも呼ばれました。マスレニッツアにおいて、経験ある女性が、何らかの形で主な役割を果たした期間として認識されたからです。近年ではこの期間、婚約が行われ、さらに古い時代には結婚式が行われました。そして、マッチメイキングの役割を持つのは経験ある女性たちです。また、ざんげ節の期間中の金曜日は、新婚の花婿が、義母を家に招待し、ご馳走を振舞い、新婚夫婦への貢献に感謝する日です。この日は、ちなみに、いわゆる「ゾロフキンの集まり」と言って、女性たちがお互いを訪ねる日でもあり、「おばあちゃんの1週間」の大切な要素となっています。
4.ごちそう
マスレニッツアの食べ物についてですが、ごちそうの時間はすべての古代スラブの儀式において非常に重要な時間と考えられています。家族がテーブルに座ったとき、彼らは祖先にもこの食事に参加するよう招待します。伝統的なブリネにも意味があります。19世紀の終わりにロシアの民俗学者アレクサンドル・アファナシエフの研究により、ブリネが太陽のイメージであるという見方が確固たるものになりました。
しかし、別の考え方もあります。スラブ人の間で、ブリネはもともと非常に深い象徴性を持っている食べ物でした。丸い形は永遠を想起させ、暖かさは地上の喜びを想起させ、材料の小麦粉、水、牛乳は生命を想起させるというものです。
5.男たちの拳の戦い
マスレニッツアの中のイベントというか、儀式というべきか、若い男同士の間で行われる 拳の戦いがあります。
このイベントは今でも行われていますが、相手に危害を加えれば警察に捕まってしまいますので本気で戦う人はいません。しかし、以前は生命を脅かすほどの戦いで、その間に流された血や失われた命は、死者の霊または神への犠牲、つまり捧げものとして認識されたる、ごく宗教的な儀式だったのです。また、マスレニッツアがひとの誕生にも、人の死や葬儀にも関連していることはすでに述べましたが、この拳の戦いも死や葬儀に関連する儀式だったわけです。
さらに最終日に行われるかかしを燃やす儀式も葬式に関連していることは示唆されます。しかしこの儀式の意味は、より農業に関連したものと考えたほうがいいでしょう。かかしを燃やした後の灰はフィールド全体に散らばり、地球を祝福すると考えられました。つまり、土に祝福を、そして滋養をお返ししたということです。
5.裸の儀式
そしておそらく、最も注目すべき極め付きともいうべき伝統は、現代のロシアの一部の地域たとえば、アルハンゲリスク地域で残っている儀式でしょう。この儀式はあまりに過激であるため、一般に行われるマスレニッツアのイベントではほとんど見ることはできないそうです。その儀式というのは、マスレニッツアの最終日、村長が村全体を回ったのち、集まったすべての参加者の前で裸になり、お風呂で体を洗う動きを真似、そのまま裸でお祝いのスピーチが行われ、お祭りが締めくくられるというものです。ポイントは一糸まとわぬ裸ということですし、ロシアの2月末だということです。そのような「全裸」の意味は今の人には理解するのが困難ですが、スラブの祖先は真剣に取り組み、おそらく真摯な思い入れがあったに相違ありません。全裸は、死、そして誕生の象徴ととることができます。「結局のところ、人は裸で生まれ、死んでからも裸にされて、墓に行くのは魂ではなく裸の体です。」というスラブの哲学的な考え方が根底にあります。
いかがでしたでしょうか。以上で全4回のマスレニッツアの特集は終わりです。次回のロシアファッションブログにご期待ください。
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