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防寒着カフタンの歴史 ロシアファッションブログ147 

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ロシアのカフタン出典:ロシア通販サイト
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防寒着カフタンの歴史 ロシアファッションブログ147 

ロシアファッションブログです。前回はルパシカの上に着る便利なファッションアイテム、ジプンについてまとめました。部屋着にも、外出着にもなる用途の多い衣装でした。

今回は通常はそのジプンの上に着るカフタンについてお話します。

カフタン

服の意味にはいろいろありますが、例えば、防寒、保温、汗取、衛生、魔除け、おしゃれなどですが、中世のロシアにおいてのカフタンには社会的地位を表出するという特別の意味がありました。例えば、金持ち/貧乏人、上司/部下、公式/非公式、既婚/未婚、など現代のものよりはるかに複雑な「ドレスコード」がありました。カフタンはもともとペルシャ語ですが。9世紀の後半から10世紀初頭に、ルーシ民族がペルシャ民族より取り入れたものと推測されています。ルーシ民族と同様リネンのシャツとウールの服を着ていたスカンジナビアが、10世紀の初めに、突然高価な毛皮、絹、錦織を使い始めたという考古学的発見からこのことが強く推察されるわけです。社会的地位を明確にするためのツールは、金または銀の織物と金属の糸の混合物から織られた錦織、および生地を絹にしたり、様々な豪華なアップリケやパターン、そして宝石や貴石などでした。前回当ブログではカフタンの下に着るジプンについて説明しましたが、多くの解釈はまずカフタンがロシアの分化に浸透する過程で、下に着るタイプと上に着るタイプのに分化し、下に着るものをジプンと呼ぶようになり、上に着るものにカフタンという名が残ったと考えるものがあります。ロシアの厳しい気候がこのカフタンのいろいろなバージョンの発展に寄与したことは言うまでもありません。カフタンの存在の最初の視覚的な考古学資料は、キエフの聖ソフィア大聖堂のフレスコ画に眼を向ける必要があります 。それらの多くは後で変更、修正されたため、資料としてすべてが使えるものではありませんでしたが、、元の図面を復元できる場合もあります。その1つとして、たとえば、下図のヤロスラフ1世の家族のフレスコ画で、これは17世紀に外国人によってスケッチされたもので、信憑性の高い証拠と考えられています。

出典:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/84/Yaroslav_I_the_Wise%27s_family_%28fresco%29_-_18th_century_sketch.jpg

ヤロスラフ1世の家族。キエフの聖ソフィア大聖堂の教会のフレスコ画。1040年代-1050年代初頭 A.ヴァンウェスターフェルドによる描画。1651年18世紀のコピー。非常に興味深いこの絵は、皇帝だけでなく彼の子孫もパターン化されたカフタンを身に着けていることを示しています。また、これは権力の象徴の姿とも考えられます。


聖ソフィア大聖堂の他のフレスコ画では、道化師などが描かれており当時の衣装の貴重な資料となっています。

出典:http://sofiyskiy-sobor.polnaya.info/bashni_sofiyskogo_sobora.shtml

 

11から15世紀、ロシアのエリート層の衣装としてのカフタン

ロシアの皇帝は、当然最高級のカフタンを身に着けていたと考えられますが、皇帝に近い指揮官や戦士が皇帝のカフタンによく似た、またより簡素なカフタンを身に着けていました。

11世紀から15世紀にかかる皇帝一族の身に着けていたカフタンの変遷を見てみましょう。

1130〜1140年代 のノヴゴロドのユリエフ修道院の聖ゲオルグ大聖堂からの一枚です。

 

そして、サンクトペテルブルグ、ロシア美術館の、14世紀の初めの聖なる大殉教者ボリスとグレブです。



11世紀の皇帝一族ゲオルグの衣装と比べて、14世紀の皇帝一族、ボリスとグレブのカフタンはより長く、さらに金の刺繡、模様のあるベルトなど、豪華に派手になっていったことが分かります。こうした複雑さ、豪華さは、時代とともに深まっていき、カフタンの革新の継続が見て取れます。


 さらに上図が15世紀のアイコンですが、 錦の襟が顕著な変化です。

 

さらなるカフタンの進化と分化

カフタンは変遷の過程でいくつかの別のアイテムに分化しています。より内側に変遷したのが、前回採りあげたジプンであり、より外側に変遷したのが、フェリアスと呼ばれるコート的なものです。

1640年代にロシアを訪れた旅行者オレアリウスがモスクワのアウターウェアについて書いた記録があります。

(ロシアの人々は)ルパシカとズボンの上に、膝丈の狭い非常に長い袖のカフタンを着用しています。カフタンの襟は広く、肘の4分の1の長さで、ベルベットで縁取られています。貴族の場合は金の布で縁取られています。別の外側に着るコートのようなものために襟は露出し、ボタンを外したままにします。カフタンの上は、ふくらはぎの長さまであります。この上衣はフェリアズと呼ばれます。フェリアズは厚く綿が入っています。とりわけ、このフェリアズは、公共の場に外出するときに着用されます。フェリアズは、青、茶色、または濃い緑色の布でできており、サテン、金などで美しくで刺繍されています。この上着は肩から落ちる長い襟を持っています、裾は金または真珠でトリミングされ、袖も非常に長く、手がほとんど見えないようにデザインされています。

フェリアズ

マント風になったカフタンは、秋冬に着られるフェリアズに変わりました。これは毛皮のコートと言ってもいいですし、また毛皮のコートの上に着る上衣と言ってもいいものです。
下の画像は、皇帝ヴァシーリー3世から寄贈されたフェリアズを着用するオーストリアの外交官、ジギスムント・ヘルベルシュタインです。

次のファリアズはおそらくはモスクワ大公アレクセイ・ミハイロヴィッチのものと思われ、毛皮のコートの上に着るためのものです。 

 

上図は17世紀前半 モスクワ、ツァリツィン(ボルゴグラードの旧称)の工房で作られたフェリアズ。生地はトルコのゴールドサテンで、 ボタンはシルバー、袖は一直線に縫い付けられ、袖は幅が広く、腕よりもはるかに長く、先細になっています。細い絹の紐でできた8組の組紐を、4回折りたたんで、胸全体に縫い付けます。これはリスの毛皮で覆われていました。柄は、花、葉、芽をモチーフとしたものです。

各社会の階層に普及していったカフタン

カフタンは、皇族、貴族から高等聖職者、商人、狩人、さらには農民まで、社会の隅々まで普及していきました

新年の貴族による祈り、15世紀のアイコン。

17世紀のモスクワ歩兵

農民のカフタン-オレアリウスの本(1646)からのイラスト

この時期のカフタンの不便な点は、長くなりすぎた袖です。よって、17世紀に入って、袖を折ったモデルである、クントゥシュというスタイルが流行し始めました。

クントゥシュ
出典:https://www.kitabhona.org.ua/forums/viewtopic.php?f=2&t=1294

カフタンの終焉
当時のロシアの文化は、ロシア皇帝ピョートル1世によって、大きな変革が成し遂げられましたが、カフタンもその一つでした。ただしネガティブな意味で。皇帝自身はカフタンを着て育ち、生涯にわたってそれらを身に着け、しばしばオランダのマントと交換したりしていました。そしてある時、ピョートルはファッションを含め、ロシア的なアイテムを放棄し始め、ヨーロッパ主要国のスタイルを取り入れることになります。皮肉な話ですが、おそらくこれが原因で、ピョートルの着ていた多くのカフタンが状態よく保存されているのです。さらに終焉間際の、カフタンの800年の歴史上もっとも制作スキルが高まっていた時期でもありました。

カフタンを着た子供の頃のピョートル1世

ピョートル1世のカフタンの数々

いかがでしたでしょうか。カフタンについてのお話はこれで終わりです。次回もロシアファッションブログは続きます。

 

参考資料

Русский кафтан — Русская вера
https://realnoevremya.ru/articles/138035-tatarskoe-vliyanie-na-zhizn-russkogo-naroda-chast-14
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