ロシアファッションヒストリーです。ロシアのウェディングドレスにまつわるお話をシリーズとしてお届けしています。今回は20世紀になってからの歴史を紐解いてみましょう。
20世紀は、1917年の第2次ロシア革命前と後に分けて話をしなければなりません。まずは革命前ですが、ロシアの裕福な家族は花嫁のために2つのドレスを購入しました。1つは結婚式用、つまり本番用で、首と腕を閉じた厳格なもの(下の画像ご参照)と、
20世紀初頭のロシアの花嫁の衣装
社交界におけるお祝いのための深いネックラインと肩を開いた2つ目のドレスです。
1917年の革命後、ヨーロッパ全体との文化交流、モノ、ヒトの流れは終わりました。教会の結婚式はなくなってしまい、結婚はセレモニーよりも登記所での婚姻登録が重視されたため、数十年にわたって結婚式のファッションを忘れてしまったようなものでした。NEP(新経済政策、1921-1928)の時代になって初めて、結婚式の衣装が公に復活します。サンクトペテルブルクの結婚式博物館では、1927年のドレス(次の画像)が保存されています。
シンプルなストレートカットで、小さな襟と半袖、膝までの長さです。当時の洋服では、実用性と「再利用性」が高く評価され、一生に一度しか着られないドレスに多額の費用を費やすことは経済が許さなかった時代です。
多くの場合、ウェディングドレスは自作です。そして、登記所までウェディングドレスで赴き、署員の前で厳かに婚姻の署名をする、というのがソ連時代の一般的な結婚式の姿でした。披露宴は、夕方から翌朝にかけて、職場やアパートで自作のウェディングドレスのまま行うものでした。
それでも1960年前後になると、結婚式のファッションと言えるものが登場します。西洋から「ミニ」のファッションが流出してソ連ではやってしまったり、繊維産業の発展により、安価な合成繊維が世の中に表れたため、ウェディングドレスにもファッションの多様性が生じたのです。
ソビエトの花嫁は、ヨーロッパの花嫁と同様に、60年代にはベールまたはベール付きの帽子をかぶっていました。70年代の結婚式の写真では、非常に一般的でシンプルな服装の花嫁を見ることができます。
1975年のソビエトにおける結婚式(出典:http://www.sestrenka.ru/s832/)
1970年代、ドレスの画像を見ると華やかになってきましたが、ソ連の世の中は緊縮ムード一色で、仕立て屋で華やかなウェディングドレスを注文すると、「世間の目がうるさいのでやめておけ」だの、「もっとシンプルなものにした方がいい。」と言われた時代だそうです。これには2つの理由があります。本当に共産党から目をつけられてしまうからという親切心、そして仕立て屋の給料も1週間に何着というノルマ制なので、複雑な縫製をしたくなかったこと。の2つです。どちらも社会主義の弊害の部分ですね。登記所に申請書を提出した後、また多くの人が経済的に逼迫したので、国が嫁衣装代用としてクーポンを発行していた時期があります。
80年代のペレストロイカ後、外国のウェディングドレスがソビエト連邦で最初に登場しました。もちろん、たいていの場合、彼らはシリアまたはトルコ製のもので、デザイン的には当時でも洗練されてはいなかったので、それらの安価な輸入ドレスは、「サモワールの女性」または「クリームケーキ」と呼ばれていました。その意味は、「どこにでもある一般的なもの」「何の特徴もないつまらないもの」という意味です。
以下の画像は、ブログ筆者の義理の母のウェディングドレス。これはどちらかと言えばレトロでベールの長さが特徴で、当時としては一般的ないわゆる「サモワール」ではなかったそうです。
ソ連崩壊後、輸入品が殺到しましたが、当然ながらウェディングドレスにおいてもです。外国のファッション雑誌やカタログが登場し、ファッションハウスやアトリエが顧客からの注文によりウェディングドレスを制作し始め、多くのデザインが生まれました。そして今日、ロシア女性は夢のドレスを輸入品であろうと、国内品であろうと自由に選べる国になりました。
次の画像は2007年当時のブログ筆者の嫁のウェディングドレスです。高価なものではありませんが、手縫いのビーズが沢山装飾してある、ポーランド製のものです。
いかがでしたでしょうか。次回は、ロシア民族衣装をモチーフとしたウェディングドレスについての情報を提供いたします。
参考としたURL:
http://wedding-fabric.ru/molodozheny/nevesta/svadebnoe-plate/stili/russkii-narodnyi.html(動画)
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