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ロシアファッションヒストリー66 ロシアのウエディングドレス

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ロシアファッションブログです。毎回ロシアや、その他スラブに関するファッションをその歴史と関連させながら紹介しています。今回からはロシアのウエディングドレスの歴史についてお話していこうと思います。

ロシアの花嫁のウェディングドレスの歴史

古代ロシアのウェディングドレスはとてもカラフルで、主な結婚式の色は赤でした。特筆すべきことはロシアの白い色は神に関する祭礼の色とされ、結婚式には使用されませんでした。ロシアの多くの地域で、花嫁は2つのウェディングドレスを持っていました。結婚式の前と後です。結婚式前に着る衣装はシンプルで、控えめで、暗めのものでした。場所によっては、花嫁でさえ真っ黒になベールで覆われてたそうです。結婚後の衣装は赤を強調し、喜びを象徴していました。

結婚衣装の基本はシャツ(ルバハ)とサラファンです。当時のウェディングドレスは、特別のカットがあったわけではなく、日常の衣装と同じ構成のカットで、違いは主に装飾にありました。

     

サラファンの下に着るルバハは、葉、果実、雄鶏、その他の鳥をイメージした豊かな刺繍で飾られていました。鳥は善の象徴と考えられ、古代ロシアでは刺繍のお気に入りのモチーフでした。

多くのロシアの州の新婦のためのルバハは、袖は長くカットされ、中には2メートルに達するものがあったようです。これは、新郎新婦が素手で触れ合わないようにするためでした。ルバハの上にはエレガントなサラファンがはおられるのですが、伝統として花嫁がサラファンを自身で縫い、また装飾の刺繍も自身でビーズを使って織るという習慣が続きました。いつか、手作りサラファンは花嫁の義務ではなくなったものの、ウェディングドレスの主なディテールを豊かに飾るという伝統は残っていました。一般的な結婚式用サラファンは、赤い絹、錦で作られ、金糸と銀糸の刺繍、あるいはビーズで仕上げられました。季節が寒い時期であれば、サラファンの上にジャケットも羽織って結婚式に参加します。

  

 

ロシアの花嫁の結婚式の頭飾りは花輪が起源です。11から14世紀には、金属製の頭飾り、または布で額を覆って頭の後ろに留めらたものが使われていました。その後、もっと豪華なココシュニック型のものが登場します。

女性のお祝いの頭飾り-ココシュニク 19世紀後半のプスコフ
出典:ロシア民族学博物館

女性の結婚式の衣装。プスコフ
出典:ロシア民族学博物館

上の画像のように、ロシアの北部地域では、花嫁のココシュニックには金の糸の丸い「隆起」がちりばめられていました。新郎新婦は王冠の隆起の数ぐらい多くの子供を産むこと望んだのです。

11世紀から16世紀ごろまで、首にグリブナ(金、銀、青銅、または鉄の輪)がアクセサリーとして使用されていました。下の画像のようにネックレスというにはおとなしいデザインですが、装飾性よりも富の象徴としての意味合いが大きいのでしょう。

グリブナ
出典:Public Domain

 

その後、モニストや、パール、トルコ石のネックレスを身に着け始めました。ターコイズは夫婦の忠誠の象徴と考えられ、結婚の装飾によく用いられていた石です。またモニストとはスラブ文化で見られるネックレスで、コイン、真珠、ビーズなどで作られ、装飾性と同時に社会的地位を表すものでした。

ロシア・ウドムルト地方の女性が身に着けているモニスト
出典:Public Domain

トルクメニスタンのモニスト
出典:Public Domain

 

花嫁が貴族の家族から来た場合、通常金の刺繍が施された重い錦織のマントを着なければなりませんでした。

 

15世紀には、貴族の花嫁衣装は、しばしば真珠で刺繍され、毛皮でトリミングされた錦織のドレスで祭壇に向かいましたが、そのような服装は、最大15キログラムになるほどでした。日本の白無垢で約10㎏、十二一重で20㎏なので、どの世界でも花嫁はくたびれたんですね。

16から17世紀には、サラファン、ドレス、ココシニックを身に着けて結婚するという伝統が守られていましたが、色合いについては赤主体から徐々に解放されていったようです。

      

 

以前このブログでも取り上げたように、18世紀の初めに、ピョートル大帝はすべてのロシア人貴族にヨーロッパのファッションを模倣するよう命じました。ただし伝統的なロシアの結婚式の服装は、19世紀までロシアの村々に存在し、1917年の革命以前にもいくつかの場所で存在していました。

さて、貴族の間のウェディングドレスが白主体となったのがこのころです。一般的な理解は、英国のヴィクトリア女王が1840年2月10日のアルバート王子との婚礼に際し、従来の伝統にとらわれない白いドレスとフラワークラウンを身に着けて結婚式に臨んだのだのが始まりだとされています。

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出典:https://www.vogue.co.jp/fashion/article/2019-10-14-fashion-encyclopedia-whiteweddingdress

けれども、白いウェディングドレスに関しては、1499年にルイ12世と結婚したブルターニュ公爵夫人とフランスの女王アンナ・ブレトンが初めて結婚式の白いドレスを着用したことが知られています。その後1世紀以上の間、大胆な花嫁によってのみ白いドレスが用いられたので、流行にならなかっただけだという説もあります。

また別の説では、オーストリアのアンナという女性が身に着けた、白雪姫をイメージした結婚式の服装が評判になり、フランスの女性をはじめ、他のヨーロッパ諸国に広がったというものです。

実際のところ、18世紀以降、ロシアのウェディングファッションはヨーロッパのウェディングファッションと実質的に同調しましたが、18世紀、19世紀のロシア、ヨーロッパの貴族たちのウェディングドレスを語るのに、帝国スタイルとクリノリンスタイルの説明を避けて通れません。

帝国スタイルは18世紀の終わりと19世紀の初めにより昔風の重厚さを復活させたシルエットです。特徴はハイウエストで、流れるような生地でボリューム感があり、深めのネックラインが胸元のフォルムを際立たせたドレスのことを言います。ウェディングドレスの主な素材は、白いサテンと透明な布地です。肘までの白い手袋も、花嫁にとって必須の付属品になります。

 

ロシアも帝国スタイルが流行し、1812年の戦争前にはおもにこのスタイルで作られました。トルストイの「戦争と平和」に、登場人物のナターシャ・ロストヴァがこの衣装を着る場面が出てきます。

映画「戦争と平和」より出典:https://www.vogue.com/article/russian-jeweler-axenoff-designs-bbc-war-and-peace?mbid=social_onsite_pinterest

 

次にクリノリンスタイルですがクリノリンとは、馬の毛をベースにした堅いリネンまたはコットン生地で、後でスカートに望ましい形状を与えるように設計された堅い構造をいいます。

Cutaway_sketch_of_crinoline
出典:Public Domain

 

19世紀の半ばに、サンクトペテルブルクとモスクワにフランスのウェディングドレスが登場しましたが、これがクリノリンスタイルで、刺繍された真珠、金、銀のコルセットをあしらった膨大な数のレースでできていました。

 

 

いかがでしたでしょうか。次回は20世紀に入る前に、もう一度19世紀のロシアの結婚式の話をしたいと思います。持参金の事など、興味深い話が沢山ありますので、楽しみにしてください。

 

参考URL:

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