ロシア民族衣装のお店キリコシナ
ロシア民族衣装のお店 キリコシナ

ロシアファッションヒストリー39 1910年から1930年6

未分類
現代の構成主義ファッション 出典:https://www.buro247.ua/fashion/trends/tendentciya-konstruktivizm.html
この記事は約8分で読めます。

ロシアファッションヒストリーに関するブログです。前回前々回とソビエト時代、海外で活躍したロシア人女性たちをテーマとして取り上げました。少し華やかな話でしたので、今回はロシア国内における少し暗めの話から始めてみましょう。

女性のファッションへの革命の影響

皆さん想像されるように、ソビエト社会主義体制下のファッション、言い換えれば女性の美の概念は、何らかの形で培われたという側面は小さく、逆にあらゆる方法で根絶されていったと言っていいでしょう。その当時の一般的なイデオロギーに従って、女性は社会主義を構築するための闘争において同志、同僚、同盟者として認識されていました。

革命直後の女性ファッション
出典:https://lady-hit.com/krasota/moda/zhenskaya-moda-i-eyo-istoriya-razvitiya.html

上の画像は一応ファッション誌に載っていたものなので、イデオロギーは表現されていますが、女性美が根絶された、というほどひどいものではありませんね。

1927年、モスクワの美術学校
出典:https://club.osinka.ru/topic-180010?start=0

上の画像は、当時のモスクワにおける美術学校ですが、こちらは生徒や先生方、特に女性の服装が、美術学校にしては地味であることが見て取れます。さらに、背景となっている絵は、当時の世相を反映する構成主義の絵です。

 

ロシアファッションの新規性:構成主義

1920年代のロシアのファッションにおける重要な新規性の1つに構成主義がありました。構成主義の要素は非対象性・幾何学的形態にあります。

典型的な構成主義建築
出典:Public Domain

ファッション界でも、ル・コルビュジエ、ロドチェンコ、タトリンなどの作品によってロシアに代表される構成主義の建築の影響が明確に感じられ、この方向でデザインされた衣装の特徴は、たとえば当時のスポーツファッションによく表れています。

V.ステパノバによる構成主義スポーツウェア計画の資料
出典:http://philosoph.ru/service-plus/1993-7768-11-3-7

一般の服装にも、この構造主義のデザインを取り入れるよう政府のプロパガンダがあり、次のような生地のデザインが推奨されました。

構成主義デザインの生地
出典:http://philosoph.ru/service-plus/1993-7768-11-3-7

構成主義デザインの生地2
出典:構成主義デザインの生地2

 

次のような構成主義柄の衣装も着られていました。

1920年代構成主義ファッション
出典:https://theatremuseum.ru/event/lekcia_pro_mody

シルエットのせいか、あまりおしゃれには感じませんね。確かに柄からはセクシーさは一掃されています。その後、事実的にこうした政府のファッションへの介入はソ連国民に受け入れられず、政府推奨のデザインは下火になっていきます。けれども構成主義のデザインそのものが失敗だったかどうか、特にファッションの世界においてはどうなのか、次の画像をご覧ください。現在のデザイナーが応用するとこうなります。

コレクションのモデル:2017年春夏「Antonio Marras」、「Emilio Pucci」、「Etro」、2017年〜2018年秋冬「Missoni」
出典:http://philosoph.ru/service-plus/1993-7768-11-3-7

やはりシルエットのせいか、モデルが良いのか、悪くないですよね。ロシアは奥が深いです。

 

ネプマン(NEPMAN)とは

ご存じのようにソビエトは社会主義政策をとっておりましたが、それでも民間の力を利用しなければ経済が回りにくいことはわかっておりましたので、新経済政策 New Economic Policyとして民間貿易と小規模製造業をとりいれることとしました。この政策の頭文字をとってNEPと言います。そしてその政策下の産業に従事している人をNEPmanとよびました。彼らは一般の人より経済的に裕福なので、ビジネスウーマンやNEPmanの奥さんたちがファッションの主役たりうることは想像に難くないですね。

NEPの影響で、ファッショナブルなアトリエが再開し始めました。最も消費された製品は、チャールストンのローウエストドレスで、刺繍やアップリケでトリミングされています。

チャールストン
出典:https://www.liveinternet.ru/users/3173294/post197522031/

当時のファッションの主な消費者はNEPmanの奥さんたちなので、裕福です。しかし上の画像の衣装がはやるくらいですから、少々成金的な志向があり、かつ食生活も豊かなので肥満体の女性が多かったらしいのです。かと言って有り余るほどのお金持ちではないので、ファッションのわき役には気と財政がいきわたらない。と言うことでこうした女性たちのステレオタイプが生まれました。

上の画像は、1926年、モスクワのもので、エレガントな衣装でNEPmanの妻を演じるソビエトの女優たちです。ファッションをご覧ください。

また、ファッション自体もそうした女性たちに迎合する形で、シルエットもデザインも適応されていったので、結果として1920年代の代表的な女性のコスチュームが が

・めりはりなく、だぶだぶに見える。

・低いウエストラインが下腹を強調する、

・靴、髪型、アクセサリーがシンプルすぎる。

NEPman2
出典:https://www.livemaster.ru/topic/145409-moda-1920-h-godov-vozrozhdenie

NEP時代の婦人服コレクション
出典:https://club.osinka.ru/topic-180010?start=15

という評価でした。ファッションそのものが政府主導ではなくなっていましたが、政策のひずみが少し不格好なものを生んだんだとロシアの多くの衣装評論家が考えています。

いかがでしたでしょうか。そういえば、日本でも政府が背広の袖を短くしたり、東京都が変な形の帽子をはやらせようとしたり、省エネや温暖化対策という政策がファッションに介入しようとした時期がありましたね。日本国民、東京都民は受け入れませんでした。オリンピック傘の方は東京オリンピックが開催されてみないとまだわかりませんが。

次回はこの時代の男性ファッションをご紹介します。

 

参考文献およびウェブサイト(すべてロシア語です)

https://www.rbth.com/arts/328686-5-russian-queens-of-silent-cinema

https://weekend.rambler.ru/read/38912877-kak-russkie-emigrantki-diktovali-mirovuyu-modu/?updated

https://www.rbth.com/arts/328686-5-russian-queens-of-silent-cine

http://lamanova.com/16_competitors.html
https://russian7.ru/post/kak-poyavilas-kosovorotka-u-russkikh/
https://vrns.ru/analytics/1394

https://club.osinka.ru/topic-180010?start=15
・R.V.サハルジェフスカヤ「衣装の «歴史:古代から近代へ
・カミンスキーN.M.「コスチュームの歴史」
・Далю(ダーリョ)「Толковый словарь живого великорусского языка」

https://vladimirdar.livejournal.com/34227.html

https://www.proza.ru/2016/03/06/208

https://wiki.wildberries.ru/%D0%B3%D0%BB%D1%8F%D0%BD%D0%B5%D1%86/%D0%B8%D1%81%D1%82%D0%BE%D1%80%D0%B8%D1%8F-%D0%B6%D0%B5%D0%BD%D1%81%D0%BA%D0%B8%D1%85-%D0%B6%D1%83%D1%80%D0%BD%D0%B0%D0%BB%D0%BE%D0%B2-%D0%B2-%D1%80%D0%BE%D1%81%D1%81%D0%B8%D0%B8-%D0%B6%D1%83%D1%80

https://www.rbth.com/arts/328686-5-russian-queens-of-silent-cinema

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました