ロシア民族衣装のお店キリコシナ
ロシア民族衣装のお店 キリコシナ

ロシアファッションヒストリー26 ロシアファッションの変遷1900から1910年 2

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前回から20世紀のロシアのファッション、1900年からの10年間の変遷について紹介しています。今回はその当時の衣装の供給に係る側面を紹介します。供給などと言ってもビジネスの話ではなく、例えばアトリエとか、デザイナーハウスという明るく華やかな世界の話なのでご心配なく。

ファッションハウス

これらの年のロシアは、ファッションハウス(多くのデザイナーや、ロシア全国規模で有名なデザイナーがいる、そして多くの仕立て屋がいる店舗、ファッションショーも可能な大規模店舗)、アトリエ(基本的にデザイナーは一人、あるいは少人数のグループ、あるいはデザイナーはおらず注文を受けての仕立てのみ行う中規模店舗)、ワークショップ(作業場程度のごく小さい仕立て屋)が実にたくさんありました。1900年代のサンクトペテルブルクには、120を超えるファッションハウスとアトリエがあったと記録されています。革命後(1917年)の数年間、サンクトペテルブルクでトップ、および第2位のファッションハウスは、首都としてはモスクワより大きな都市であったため、このサンクトの2店舗がロシアファッションの先端であったということができます。

 

ブリザックハウス サンクトぺテルブルグ
出典:http://lamanova.com/16_competitors.html

サンクトペテルブルクで最も有名なファッションハウスは、1855年創立の「ブリザックハウス」と言う名の店で、総勢60人の仕立て屋が働いおりました。オーナーはフランス人でしたが、彼はロシアは第二の故郷だと公言していたほどロシアに愛着を持って仕事をしていた人だったと言います。けれども、この「ブリザックハウス」は1918年、ロシア共産党レーニンの命令によって閉鎖され、その後施設は国有化されたそうです。

 

ブリザックハウスの作品
出典:https://club.osinka.ru/topic-180010?start=0

上の画像はサンクトペテルブルク、1903年頃。ブリザックハウス」の豪華なコンサートドレスを着た有名な歌手アナスタシア・ヴィアルツェヴァです。ドレスは刺繍で仕上げられ、その上に黒いツバメが縫い付けられています。肩にはダチョウの羽のショールをかけています。

今日、ロシアではブリザックハウスの製品のオリジナルを5つ鑑賞することができます。そのうちのドレスの1つは、モスクワ歴史博物館にあります。他にはサンクトぺテルブルグのエルミタージュ美術館、ツァールスコエ・セロ美術館等にあるそうです。残念ながらほとんどの場合、これらのコレクションを常設展示しておらず、一般の人が鑑賞することができないとのことです。ところで衣装に関する博物館や美術館の収集に関する規則は厳しく、購入による収集を行わず、寄付のみによります。なので、コスチュームに関する歴史的資料はどこかに集められているのではなく、各地域や家庭に散らばっているということなんですね。検索したところ、「ブリザックハウス」の製品の画像がいくつか見つかりましたので、以下ご参考に貼っておきます。上から3点目までがオリジナル、他はレプリカの画像です。

ブリザックハウス アレクサンドラ・フェドロヴナ皇后のドレス1
出典:http://svpetrova.blogspot.com/2017/01/blog-post_16.html

ブリザックハウス アレクサンドラ・フェドロヴナ皇后のドレス2
出典:http://svpetrova.blogspot.com/2017/01/blog-post_16.html

ブリザックハウス アレクサンドラ・フェドロヴナ皇后のドレス3
出典:http://svpetrova.blogspot.com/2017/01/blog-post_16.html

ブリザックハウスのドレス4
出典:http://svpetrova.blogspot.com/2017/01/blog-post_16.html

ブリザックハウスのドレス5
出典:http://svpetrova.blogspot.com/2017/01/blog-post_16.html

 

ロシアのオートクチュールのファッションハウスは、上流階級、革命後でいえば、特権階級のためのものです。サンクトペテルブルクの「ブリザックハウス」は宮殿の注文のみ受け付ける店だったのです。つまり、このお店の一番のクライアントは皇后であり、あるいはその娘や親類の皇族、そして高級官僚と言いますか、宮廷で直接皇族に使えるメイドたちのみであったということなんですね。ただし、クライアントになることのできた2人の一般人がいました。その一人が既出のアナスタシア・ヴィアルツェヴァで、アンナ・・パブロワがもう一人がです。

アンナ・パヴロワ 出典:https://infourok.ru/prezentaciya-po-teme-atele-3233547.html

 

1900年代、サンクトぺテルスブルグで2番目にファッションハウスを、直訳すると面白い名前になっちゃうんですが、「ヒンズー教徒の家」という店です。ここでは「ヒンズーハウス」としておきましょう。革命の際には、「ブリザックハウス」の運命と同じく、閉鎖、国有化と言う末路をたどりました。そして3番目の主要なファッションハウスは、「オルガ・ブルデンコヴァハウス」でした。ここも宮廷御用達のお店で、宮廷のためのドレスを収めておりましたが、特色はファッショナブルなトレンドドレスではなく、いわば制服のような定型的な衣装専門でした。というのも、私設にもかかわらず1830年代の特別帝国令で承認された、宮廷関連の法律下に存在するファッションハウスだったからです。

先述したようにサンクトぺテルブルグでは大きなファッションハウスに加えて、100を超える小さなファッションハウスとアトリエがひしめいており、どれも個別の注文をとり、いわゆるコレクションと言ってもいい独創性のある製品を制作販売していました。言い換えると、1910年までのロシアのファッションハウスでは、現在のようなファッションショーを開催していたわけではありませんが、宮廷のような特別の消費者と、市民と言う大量消費者の両方が存在していたわけです。

 

次に、ファッションショーの話をしましょう。

ロシアのファッションショー

ロシア最初のファッションショーは1916年にサンクトペテルブルクで開催されたものです。ただし、実際にはこれに先立つこと1911年、フランス人ポール・ポワールは彼のコレクションをサンクトペテルブルクに持ち込み、ショーを開いていました。しかし、1911年のフランス人のショーがロシアでは記録されなかったのは、1916年の方はロシア人がモデルであったこと、1911年のポワールのショーではフランス人のモデルを起用したからだそうです。時代が時代だからでしょうが、ナショナリズム全盛だったんですね。因みに1917年後ソビエト時代となってからの次のファッションショーは、その後40年近く行われず、1959年にクリスチャンディオールがソ連に到着したときに行われたのが、正式なロシア2度目のファッションショーだったとのこと。モデルがどこの国の人だったか気になりますね。おいおい調べてみようと思いましたが、すぐ見つかりました。全員フランス人だったようです。以下紹介します。

まずはファッションショーの画像から、

クリスチャンディオール モスクワファッションショー
出典:https://www.liveinternet.ru/community/2281209/post172773306/

クリスチャンディオール モスクワファッションショー
出典:https://www.liveinternet.ru/community/2281209/post172773306/

 

次はフランス人たちのモスクワ散策風景です。一般のロシア人とのファッションや表情の対比に味があります。

クリスチャンディオール モスクワファッションショー
出典:https://www.liveinternet.ru/community/2281209/post172773306/

クリスチャンディオール モスクワファッションショー
出典:https://www.liveinternet.ru/community/2281209/post172773306/

クリスチャンディオール モスクワファッションショー
出典:https://www.liveinternet.ru/community/2281209/post172773306/

クリスチャンディオール モスクワファッションショー
出典:https://www.liveinternet.ru/community/2281209/post172773306/

クリスチャンディオール モスクワファッションショー
出典:https://www.liveinternet.ru/community/2281209/post172773306/

 

最後にフランス人モデルたちが帰国便に搭乗する姿です。

クリスチャンディオール モスクワファッションショー
出典:https://www.liveinternet.ru/community/2281209/post172773306/

 

ロシアファッション界のデザイナー

では、次に当時のロシアのデザイナーを注目してみましょう。ファッションの中心はサンクトぺテルブルグにありましたが、1900年からの10年間に限ってみれば、ロシアで最も有名なファッションクリエイターは、モスクワのナデジダ・ペトロヴナ・ラマノヴァでした。ロシアのファッション史では名前が必ず出てくる人です。このブログでも過去取り上げています。

ナデジダ・ペトロヴナ・ラマノヴァはニジニ・ノヴゴロド出身で、いわゆる貴族の家柄の人です。フランス、パリに留学し、そこで仕立てのスキルを学んでいます。1880年にすでにモスクワでコスチュームの生産を開始たといいますから、世間を知らないお嬢様ではなく、歴としたビジネスウーマンなんですね。彼女の作品はロシアの人々にすぐに認知され、宮廷御用達のファッションハウスとして称号を授与されています。なので、当時の皇后はパリ直輸入のドレス、そして地元サンクトの「ブリザックハウス」のドレス、加えてモスクワのラマノバのドレスに身を包んだということですね。

ラマノヴァの画像と、彼女の作品
出典:https://ppt-online.org/591330

 

ラマノバがロシアで有名になったのは、特に「冬の宮殿」のために1903年に作った一連の衣装が評価されたためです。彼女はまた演劇衣装を手がけていますが、そのことに関してはこれも過去のブログに書いていますので、よろしければご参照ください。

ラマノバの衣装作りで特筆すべきは、当時の標準であった平らな型紙へのパターン作りを行わずに、ピンでマネキンに生地を固定するときに、入れ墨の技法またはこれを応用した方法で作業することを好んだからです。入れ墨の方法は、衣装作りの職人技の頂点と考えられており、これ以来全てのオートクチュールモデルはこの手法で実行されることが多くなりました。ブログ筆者が思うに、このことは画期的な改革です。当時のロシアでは階級制が明確で、ある職業レベルの人は下の階級の仕事をしたがらないものです。にもかかわらず、ラマノバはデザイナーから職人に降りてきて、自分の理想とする衣装を作ろうとしたわけです。しかも貴族の血を引くにもかかわらずなのです。ここに彼女の真価があり、ロシア人もそうした彼女の芸術家魂、職人魂というものを評価したのでしょう。

さてさて、私たちロシアファッション愛好家も愛してやまないラマノバですが、革命後のラマノバの運命は悲しいものだったのです。彼女は革命の時までにすでに60歳にはなっていましたが、ロシア人デザイナーとして世界的に名声を獲得した人々の中で、唯一海外に移住しなかったデザイナーでした。いろいろな事情もあったようです。例えばロシア最大の実業家であり慈善家でもある彼女の夫は、ボルシェビキに最初に逮捕された人物の一人であり、ラマノバは彼の釈放のため東奔西走したと言います。残念ながら、夫は釈放されず、それどころかラマノバ自身が、皇帝一族へ貢献するデザイナーであるという理由だけで1918年に逮捕され、刑務所に送られてしまったのです。数か月後、彼女は分豪ゴーリキーとスタニスラフスキーの要請で釈放され、ソビエト政府の命令により、「新しいソビエト服」を縫うためのアトリエを指揮するよう任命されることになったのです。

以前のブログでも紹介しましたが、ソ連時代のラマノバの成功は1925年、国際展示会での彼女の民族衣装の作品が受賞がきっかけです。この民族衣装は厳選された生地ではなく、ごく一般的なタオル生地で作られていました(ロシアではこの時期に実際の生地がなかったため)。そして彼女の死は突然にやってきます。1941年、これまで何度も彼女の衣装監督で演劇が上演されていた、そのボリショイ劇場の前のベンチで亡くなっていたのが発見されたのでした。

こうして数々の逸話を残し、ラマノバは名実ともにソビエトのファッションの創設者とたたえられています。そしてロシア人全員が認める、革命前後を通して活躍したプロのファッションデザイナーと言っていいでしょう。

ラマノヴァの作品
出典:https://club.osinka.ru/topic-180010?start=0

上の画像のN.ラマノバの作品、荘厳なベージュのドレスは、エルミタージュ美術館に保管されているもののうち、ラマノヴァの最も初期の作品です。

次回のテーマとしてファッションのわき役たちを取り上げます。時代はまだまだ1900年から10年くらいの話ではありますが、現在にも続く動きがありますので、ぜひお楽しみください。

 

参考文献およびウェブサイト(すべてロシア語です)

http://lamanova.com/16_competitors.html
https://russian7.ru/post/kak-poyavilas-kosovorotka-u-russkikh/
https://vrns.ru/analytics/1394

https://club.osinka.ru/topic-180010?start=15
・R.V.サハルジェフスカヤ「衣装の «歴史:古代から近代へ
・カミンスキーN.M.「コスチュームの歴史」
・Далю(ダーリョ)「Толковый словарь живого великорусского языка」

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