前号まではグジェリに関する歴史を19世紀まで紹介してきました。今回は20世紀に入ってからの変遷です。その前に19世紀のグジェリの特徴をまずチェックしておきます。
19世紀のグジェリ
・ベルをさかさまにしたようなカップの形
・幅広のブラシで描かれた表現力豊かな絵
・コバルトブルーと時には金を使った豊かな絵画
・鮮やかな色で描かれたカラフルな花模様
・原則として単色がないこと
などです。
20世紀のグジェリ
19世紀末にロシアを見舞った経済危機は、徐々に最大の陶磁器工場にも影響を及ぼすこととなります。ロシアにおける他の手工業製品に起こったことと同様、グジェリにも大量生産という工業化の波をかぶる時期が訪れました。つまり1940年を境にして手工業によるグジェリの生産も減少に転じ徐々に消滅していき、安価な型押し陶磁器の大量生産品にとってかわられることになります。
また戦争もこのようなロシア伝統の芸術に暗い影を落とすことになります。第一次世界大戦(1914-1918)の間に伝統文化の多くが失われ、その後、ロシア内戦(1918-1922)によりグジェリ陶器の生産はほぼ消滅したと言われるほどになりました。
一方、1937年、ユナイテッドポーセレン社とフォワードセラミックス社の協同組合がセラミックアート協同組合に統合されるなど、陶磁器産業の衰退に歯止めをかけるべく動いた勇士たちがいます。彼らは陶磁器材料の質の低下を補うべく、多色塗りを行うことによって、価値を補おうとしました。
しかし、その後の大祖国戦争(第二次世界大戦のうち、ソビエト連邦がナチス・ドイツおよびその同盟国と戦った1941年6月22日から1945年5月9日までの戦い)によりそうした活動でさえ中断せざるを得なくなり、グジェリの芸術的伝統は取り返しのつかないほど失われてしまいました。
その後、1950年ごろ、モスクワ芸術科学研究所では、建築や工芸の分野のスペシャリストであるアレクサンダー・サルティコフ教授が、アーカイブと博物館コレクションに基づいて、グジェリ民俗芸術の歴史を詳細な研究を始めました。ロシアウィキペディアにこの方のプロフィールが載っています。
https://ru.wikipedia.org/wiki/Салтыков,_Александр_Борисович
サルティコフ教授らの研究で、古いマジョリカのセラミック塊の処方を決定することや、液体エナメルを塗ったサンプルを再現するなどの成果が上がっています。教授と研究室の研究員たちは、新たにグジェリの処方を決める際には、その基礎として18世紀のマジョリカを使用することが有用であると考えました。 しかし、実際には18世紀の複雑なマジョリカを模倣するには、修練の必要なテクニックが不可欠で、肝心な陶磁器職人の腕が追い付かず、際限が困難であったと記録されています。もちろん疲弊した経済力も、こうした研究への投資に国自体が及び腰であったことは否めません。
職人の技術を補完する目的で、塗装工程を単純化するため、陶器を単純な形で作り、塗装色も単純にすることが決定されました。よって、グジェリが新しい青、コバルトブルーと白の陶器にすることが決まったのです。見慣れた白地に青のグジェリ、実はこの色調に固定されたのは1950年代のことだったんですね。
さて、グジェリのブランド化に参画したもう一人の立役者がいます。その人は陶芸家ナタリア・ベッサラボヴァ(1895-1981)女史です。この人が、若い芸術家、陶芸家、職人の訓練を手がけました。まずは学生のグループを結成し、グジェリを文化遺産と位置付け、過去の詳細な研究を始めました。彼女自身は、18世紀の料理と小さな彫刻のイラストを描いた水彩画のアルバムを制作する美術研究家でもありました。モスクワ科学研究所では、グジェリ研究にとどまらず、彼女とサルティコフ教授の共同で、古くから伝わる民芸品や絵画の復古を可能にするプログラムを開発しました。そのプログラムと言うのが、筆の細さと色による分類の、いわば一種の絵画のアルファベットをまとめたものです。
もう一人、グジェリの芸術性に大きくかかわった人がいます。それは、リュドミラ・アザロワと言う方です。この人は、1954年、モスクワ芸術工科大学を卒業後、グジェリ産業で働き始めました。彼女は細い筆使いを巧みに使ったグジェリを多数作成しました。さらに、彼女は絵画を彫刻の装飾と非常に巧みに結びつけました。これらの作品群が今のグジェリの基本的な特徴を形作ったわけです。リュドミラ・アザロワはプロット形の画像を好み、題材として民話、神話、動物のモチーフを好みました。
リュドミラ・アザロワの活動の初期の頃はアンティークの陶器とグジェリの食器に専念したと言います。1959年に設計された水差しの形状は、シルエットが伝統的な製品に似ています。丸みを帯びた本体は、コバルトブルーで彩られ、迫力ある筆致の製品になっています。
その後のグジェリの陶芸家で有名になった人が何人かいます。
たとえば、タティアナ・デュナショワの作品のいくつかは、中国のデザインから花の装飾と形を取り入れています。
さらに、モダンなスタイルの花瓶を連想させる花瓶を手がけた、バレンティーナ・ロザノバやジナイダ・オクロヴァなどです。ナタリア・ベッサラボヴァ、リュドミラ・アザロヴァを含め彼女らはロシアや国際展覧会での受賞者です。
いかがでしたでしょうか?ロシア伝統の文化でありながら、20世紀の科学や研究による手が入ったグジェリ、このブログが、伝統的でありながらどこか繊細でモダンなロシア民芸品グジェリの魅力の理解の一助となれば幸いです。
グジェリの話題は続きます。
参考資料:
コメント
はじめてグジェリを目にして
マジョリカタイルを連想しました。白地に青デルフト焼きにも似てとても素晴らしい歴史がある事が分かりました。
いつか、コーヒーカップを手にして豊かな自然に感謝したいです。
岩瀬様、ロシアの美術の歴史を共有できて嬉しく思います。コメントどうもありがとうございます。