ロシア民族衣装のお店キリコシナ
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ロシアファッションヒストリー22 グジェリ1

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グジェリの数々 出典:
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私たちのブログ、ロシアファッションヒストリーのテーマにおいて、2021回目はホフロマをテーマにしました。これはファッションというよりも工芸品ですが、そのロシア的イメージが峻烈ですので、ホフロマと言うデザインのカテゴリーとして、ロシアファッションを語る上で不可欠なアイテムなわけです。同じようにロシアの芸術の一つとして、陶器のグジェリが挙げられます。白地に青を基調とした陶器のイメージは、ロシアに興味をお持ちの方なら必ずと言っていいほど頭の片隅に残っていることと思います。

 

まずはグジェリ陶器のいくつかをご覧ください。

グジェリの数々
出典:https://ru.russianarts.online/crafts/4356-gzhel/

花瓶
出典:https://ru.russianarts.online/crafts/4356-gzhel/

雄鶏のピッチャー
出典:雄鶏のピッチャー

 

グジェリの歴史

グジェリをロシア語で表記すると “ГЖЕЛЬ” と書きます。これはもともとモスクワから60ロメートル離れた、27の村を集めた地域の名称です。ただし、現在グジェリと言うと、地理的な意味を想像する人は少なく、お示しした白地に青あるいは緑の陶器を想像する人がほとんどでしょう。

ではこのグジェリと言う名が、最初に地域を示す言葉としてあり、その後陶器が有名になったのか、あるいはその地域にはグジェリという名称は当初存在しておらず、まずは陶器を作り始め、「陶器を焼く」の「焼く」のロシア語 “жечь” 、「ジェリ」と読みますが、その焼くという意味の言葉が後であてがわれたかは、実は定かではありません。

今グジェリの歴史でわかっていることを簡単にまとめると以下のようになります。

11〜13世紀:現在グジェリと呼ばれるモスクワ近郊の古い郊外(当時はそう呼ばれていなかったかもしれないという意味で)は、地元住民が農業で生計を立てるには困難な土壌でした。農民たちはいくら丹念に土地を耕し、どんな作物を栽培しようとしてもうまくいかなかったと言います。そして、いくら周辺をさがしても農業に適した黒土は見つからず、そのかわり白い粘土の堆積物がありました。薬剤の知識がある者がその薬効豊かな白い粘土を発見したことにより、住民たちは、当初医療ニーズのために貴重な白い粘土で作られた料理を作っていたそうです。

 

グジェリ地方地図
出典:https://masteridelo.ru/remeslo/rukodelie-i-tvorchestvo/rospis/gzhel/istoriya-gzheli-ot-istokov-do-segodnyashnego-dnya.html

14世紀:グジェリ一帯を通るグゼルカ川の地域に住む職人が陶器製作を習得し、これで商売を始めましたが、その時の作品と現在の世界的有名ブランド、グジェリ磁器とは何の関連性もないと言っていいほど違うものでした。しかしながら、「グジェリ周辺では質のいい陶器が手に入る」という程度の評判はありました。

18世紀:この時期におきたのは、細々と小さい規模で作っていた陶器の大規模化です。ホフロマやプラトックと同じように、グジェリ陶器の大規模生産化が地域産業を大きく発展させたようです。そして、個人の職人たちは大企業に勤めますが、ホフロマと同様、工芸品の開発は即機械化にはつながったわけではありません。製品はまだ手作業で作られていました。けれどもより多くの職人がより大きな資本の元、生活を安定させてグジェリ製作に没頭できるようになったのはこの時期です。実はこのことと、ロシアにおける陶器の技術的発展は関連があります。これは後程詳述します。

20世紀:1972年に最初の「グジェリ」パートナーシップというブランドが製品に表示されます。6つの企業が参加してのグジェリのブランド化が始まったわけです。つまり、ブランドとしてはまだ若いものなのです。言い換えれば、ブランド化後、グジェリはよりグジェリの特質が顕著になり、より価値が高まったと言っていいでしょう。

グジェリブランドの刻印
出典:https://ru.russianarts.online/crafts/4356-gzhel/

もしかしたら意識したブランド化によるグジェリの洗練された雰囲気と、自然に定着していったホフロマの土臭い伝統性の差があるのかもしれません。ただし、ロシアらしさを表現するにはどちらも貴重なテーマであることは間違いありません。

グジェリの歴史をコンパクトにまとめた youtube がありましたので貼っておきます。ロシア語ですが。

Искусство Гжели. Истоки и современное развитие промысла
Скачать это видео для своей работы вы можете по ссылке:Знакомство с п...

 

それではロシアにおける陶磁器の歴史を18,19世紀を中心にもう少し詳しく見てみましょう。

ロシアの陶磁器は、わが日本や中国、さらにヨーロッパ諸国とは独立して発展してきました。現在のロシア陶磁器の基礎は、18世紀半ばにサンクトペテルブルクにおいて、ロシア人のドミトリー・ヴィノグラドフによって発明されたものです。製法を確立する際、彼は白いグジェリ地方で採取した粘土を使用しました。その後 19世紀初頭に、製法はゲルツオフ氏に引き継がれました。ゲルツオフはそれまでにイタリアの陶器マジョリカを研究していた人です。

18,19世紀のグジェリ
出典:https://www.perunica.ru/chistiy_ist/9566-gzhel-istoriya-promysla-i-foto.html

マジョリカ
出典:https://www.perunica.ru/chistiy_ist/9566-gzhel-istoriya-promysla-i-foto.html

実際に18世紀中期のグジェリ地方にはマジョリカを生産する民間工場があり、当初タイルやパイプを生産していましたが、その後食器や小さい陶器に特化するようになります。このように18世紀はグジェリ地方は、実はマジョリカ陶器の産地としてすでに名を馳せていたわけです。

マジョリカ
出典:https://www.perunica.ru/chistiy_ist/9566-gzhel-istoriya-promysla-i-foto.html

マジョリカ
出典:https://www.perunica.ru/chistiy_ist/9566-gzhel-istoriya-promysla-i-foto.html

 

マジョリカは液体エナメルが塗られた陶器です。手法としては、最初に陶器に暗い色で輪郭を描き、それに紫、黄色、緑、青、茶色を塗っていきます。焼成中、塗料はエナメルと融合し、強度が高まります。よってこの方法の特性として、その後の修正がほとんど不可能だったため、職人の巧妙な描画の腕が必要でした。

マジョリカ
出典:https://www.perunica.ru/chistiy_ist/9566-gzhel-istoriya-promysla-i-foto.html

グジェリ地方のマジョリカの職人は、多くの場合、花、葉、ハーブ、動物、鳥をよくモーチーフとして描いていました。また、一般的な建築物の画像を幾何学的なストライプと網の形の模様と組み合わることもよく行われました。人をモチーフとすることは少なかったようです。 この様にグジェリ地方のマジョリカはイタリアの物まねではなく、ロシア独自のものでした。

19世紀の初めに、グジェリ地方のマジョリカに変化が起きます。一つは原料粘土の処方変更と、もう一つは用いる色の変更です。この時から、元の多色塗装から、白無地に青色のものに置き換えられました。このあたりで「グジェリ」は青と白のコントラストのグジェリ地方の陶器の代名詞となったのです。絵画も変更されました。アウトラインの描画が筆による描画に変わりました。当時の製品から、幾何学的な装飾と花の装飾がより多く施されるようになりました。典型的なものは、丸いリングのある小さな葉の花輪、または大きな定型化された花のパターンでした。

初期のグジェリ
出典:https://www.perunica.ru/chistiy_ist/9566-gzhel-istoriya-promysla-i-foto.html

 

ロシア最初のグジェリ陶器製造所は、19世紀の初めにグジェリ地方に創設されたものです。その企業の創設者はグジェリ陶器の最初の起業家で、グジェリ地方、ヴォロジノ村出身の陶工、パベル・クリチコフと言う人です。クリチコフは1766年にモスクワで設立されたロシア最大の磁器関連企業の設立に関与していました。彼は磁器の製造、オーブンの設置、焼成に習熟した後、故郷の村に戻り、1802年に自分の磁器工房を設立したわけです。その後すぐにいくつかのグジェリ陶器を製造する陶器工場がグジェリ地方に設立されました。1830〜40年、グジェリ陶器は品質と生産量の両方で栄えました。これは、グジェリ職人が独立性を達成し、各工場も最高の生産性を達成した時期でした。したがって、たとえば、1839年ごろ設立されたテレホフ・キセレフ兄弟の工場は、ロシアの最高の工場の1つと言われるほど技術的に設備が整っていて、製品の品揃えは目を見張るほど多かったと言われています。テレホフ・キセレフ兄弟の工場は、時には非常に複雑な形状のあらゆる種類の食器を作りました。彼らはヨーロッパの陶磁器を手本として受け入れながらも、作品のテーマを「ロシア国家の起源」として非常に独創的な作品を作成しました。

工場生産された陶磁器
出典:https://www.perunica.ru/chistiy_ist/9566-gzhel-istoriya-promysla-i-foto.html

 

グジェリが認知され始めたころ、ロシアには2つの大きな陶磁器工場がありました。1つは1744年に設立された「帝国陶磁器工場」と、もう一つが民間の「ガードナー社」です。帝国陶磁器工場には、職人を養成する学校が併設され、一方のガードナー社にもこぞって優秀な彫刻家や陶磁器職人が就職を希望したそうです。

工場生産された陶磁器
出典:https://www.perunica.ru/chistiy_ist/9566-gzhel-istoriya-promysla-i-foto.html

 

このように、ロシア全土で陶磁器の芸術性が育まれる中、グジェリの職人は、帝国陶磁器工場やガードナー社のスタイルも大いに吸収しました。言い換えると、マジョリカ陶器の伝統で残されていた典型的な花の絵などは放棄され、テレホフ・キセレフ兄弟のように他の職人たちも19世紀の新しい芸術の息吹を取り入れたということです。こうして、グジェリは伝統的デザインは踏襲しながらも、絵画を含む、19世紀の新たなモチーフ、例えば戦争のエピソードや、将軍、政治家の肖像、牧歌的なシーンなどが取り入れられるようになったのです。

それでは今回はここまで。次回もグジェリのお話は続きます。20世紀に入ってからの話題を紹介いたします。

参考資料:

История Гжели: от возникновения промысла до сегодняшнего дня
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https://ru.russianarts.online/people/188480-lyudmila-azarova/
Гжель - Теория - Zen Designer
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