ウラルを超えた民族 ウドムルト ロシアファッションブログ158
ロシアファッションブログです。「ウラルを超えた民族」と題して、多民族国家であるロシアの民族の多様性を取り上げています。今回はウドムルト民族を取り上げます。
ウドムルト民族
人口:クルガン地域の総人口と総人口に対する比率は、約1600人、0.17%です。ロシア全土でいうと、55万人、0.4%程度です。ウドムルト人が最も多く住んでいる地域はもちろんウドムルト共和国です。
歴史
16世紀半ばまで、ウドムルト民族は単一民族ではなく、北部と南部に分かれていました。またそれぞれにもいくつかの小さいグループがあなります。北ウドムルトの土地は、1489年にヴャトカという土地が最終的に併合されロシアの一部になりました。南部のウドムルトは、西暦1千年の終わりからブルガリアの支配下にあり、その後タタール人(の支配に代わりました。ウドムルトの土地のロシア国家への最終的な併合は、カザンの崩壊後(1557から1558年)に行われます。
伝統
ウドムルト人の伝統的な職業は耕作農業、畜産です。たとえば、1913年には、穀物が全作物の93%、ジャガイモが2%を占めていました。穀物としては、ライ麦、小麦、大麦、オート麦、ソバ、キビ、が主生産品で、ほかに亜麻を栽培していました。
畜産としては、牛、豚、羊、その他家禽を飼育していました。さらに狩猟、釣り、養蜂が重要な収入源でした。
伐採、木材収穫、タール採集、製粉、紡績、編み物、刺繡などの工芸品など、を生業とする人も多くこれらの貿易も行っていました。
特にウドムルト民族の生地は有名で、ウドムルトの帆布は市場で高く評価されていました。家族のニーズに合った生地はすべて自宅で生産されました。
ファッション
北ウドムルトの女性の衣装には、ストレートスリーブのシャツ(デレム)、ネックライン、取り外し可能なよだれかけ、ローブ(ショートデレム)、ベルトが含まれていました。服は赤と白が基調です。
南部では、北部のような白い服は儀式のためのもので、日常の服はよりカラフルに装飾されていました。
北部、南部のウドムルト人ともに、頭にヘッドバンド(yyrkerttet)、スカーフ(ターバン)、装飾が施された高い樺皮の帽子を身に着けていました。
北部のウドムルト人の間では、刺繡、ビーズ、ビーズが装飾品としてよく使われていましたが、南部のウドムルト人ではコインの好んで使いました。
ウドムルトの男性の服装は、白い縞模様の青いズボン、フェルト、シープスキンの帽子、靭皮靴、フェルトブーツがごく一般的な服装でした。
18世紀までのウドムルト人の間での芸術品や工芸品については何も知られていません。一方19世紀には、刺繡、模様入りの織り物(カーペット、敷物、ベッドカバー)、模様入りの編み物、木彫り、樺皮のエンボス加工などの民芸品が開発されました。
御覧のように、ウドムルトの模様は幾何学的で、色は赤、茶色、黒、背景は白が多いです。南部のウドムルト人の間では、刺繡はよりカラフルとなります。
ウドムルト料理
ウドムルト人の食文化に関しては、肉と植物性食品の組み合わせたものが一般的です。きのこ、ベリー、ハーブなどをとても好みました。
300年前のウドムルトのお祝いのテーブルではライ麦と小麦のパンが主流でした。現在はパイが人気があり、ウドムルトのパイは、肉、魚、ジャガイモ、ガマズミ、ラズベリー、さらにはイチゴと一緒に調理されます。ウドムルト料理には、オートミール、エンドウ豆、ミルク、バードチェリーなど、たくさんのゼリーもあります。
乳製品もウドムルト人に長い間愛されてきました。彼らは新鮮なミルクを飲み、その加工品であるサワークリーム、カッテージチーズ、バターも食べました。発酵ミルクドリンク-「dyolpyd」は、発酵ボイルミルクから調製された乳製品です。
ウドムルト人の作るクワス(「シュール」)は高く評価されていました。ライ麦粉から調製し、ホップ、セイヨウナツユキソウ、アニス、白樺の葉を加えました。
ウドムルト人が最もよく使う肉は牛肉、羊肉、そして時には馬肉です。現在、ウドムルト人も豚肉を食べていますが、昔はあまり食べませんでした。
ウドムルト料理のメインディッシュは、きのこ、カッテージチーズ、肉、さらには大根など、さまざまな具材が入ったペリミーニ(餃子)ですです。実際、ペリミーニ(餃子)がロシア全土で流行し始めたのは、現代のウドムルトの領土とペルムの領土からでした。ウドムルト人はこれを確信しており、ウドムルト共和国の首都イジェフスクには餃子の記念碑さえあります。
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