ロシアのお金の歴史 ロシアファッションブログ154
ロシアのお金の歴史
8世紀後半から9世紀初頭に最初の古代ロシア人の入植地が出現するとともに、外国の硬貨もその領土に出現しました。 銀貨(ディルハム)は、中東および中央アジアのイスラム教徒の商人とその貿易相手および仲介業者によってロシアの土地にもたらされ、10世紀からはブルガリアから大量に輸入されました。イスラム教の国からはでは 金貨はディナール、銀-ディルハム、銅-ファルサム(偽物)と呼ばれていました。ディルハムは古代ロシアで非常に人気があり、支払いの手段として使用されるのみならず、溶かされ成形され、飾り物としてとして着用されていました。 商人はそれらを使って、イスラム教徒の東部で高く評価されていた毛皮、奴隷、蜂蜜、その他の商品を購入しました。ビザンチン帝国との緊密な関係により、これらの国の硬貨、金(ソリドゥス)、銀(粟粒)、銅(フォリス)がロシアで知られていました。さらに10世紀の後半から、西ヨーロッパの国々から銀貨のデナリウスが到着し始めました。
アッバース朝のカリフハルーンアルラシードの偽造銀貨ディルハムの半分。802-805年 reviewdetector.ru
ロシアの硬貨の歴史において、偽造が大規模になった時期があります。たとえば、16世紀におきた金融危機の際に発生し、多数の偽造品が流通していることが判明し、エレナ・グリンスカヤの通貨改革により偽造者の処刑が行われています。また、流通している1718年と1723年の銅貨のうち半分は偽造品であったことが分かっています。
硬貨のなかった時代
12世紀
イスラム諸国からのディルハム銀貨は11世紀にロシアへの流入はなくなりました。西ヨーロッパとビザンチンの硬貨とその模造品はこの世紀も使用され続けてはいましたが、その流入も徐々に減少していました。上述のウラジミール・スヴィアトスラヴィッチ大公とその息子であるスヴャトポルクとヤロスラフ・ザ・ワイズの硬貨の製造量は、経済的意義よりも、本質的にはかなりイデオロギー的、ぽわーこじのためのシンボリックな意義が大きく、よって少量であり、継続的な流通はありませんでした。このように12世紀以降、硬貨の広範な流通は停止してしまいました。大規模な貿易活動と購入、報酬の支払い、教会や修道院への寄付には、以下の画像のような最大200グラムの銀の棒が使用されていました。これは12〜13世紀ごろのものでにはグリブナ銀貨と呼ばれていました。14世紀以降、それらはルーブルと呼ばれるようになります。グリブナ硬貨にはいくつかの種類があり、形が異なります。発見の場所によって、、彼らは異なる名前を付けられています。キエフ、ノヴゴロド、チェルニーヒウ、リトアニアなどです。モンゴル・タタールの侵略後、ボート型または直方体型の金塊、銀塊(コイン程度の大きさ)が出現しました。これらは、サム、サウム、またはソンモと呼ばれています。
12世紀ごろ、硬貨の代わりに何を使ったかというと、いくつかの種類のビーズ、ガラスのブレスレット、さらにはタカラガイの殻、そして毛皮などがが使われていたことが分かっています。
では今回はここまでとし、次回にロシアのお金の歴史の続編をお届けしたいと思います。
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