防寒着カフタンの歴史 ロシアファッションブログ147
ロシアファッションブログです。前回はルパシカの上に着る便利なファッションアイテム、ジプンについてまとめました。部屋着にも、外出着にもなる用途の多い衣装でした。
今回は通常はそのジプンの上に着るカフタンについてお話します。
カフタン
11から15世紀、ロシアのエリート層の衣装としてのカフタン
ロシアの皇帝は、当然最高級のカフタンを身に着けていたと考えられますが、皇帝に近い指揮官や戦士が皇帝のカフタンによく似た、またより簡素なカフタンを身に着けていました。
11世紀から15世紀にかかる皇帝一族の身に着けていたカフタンの変遷を見てみましょう。
1130〜1140年代 のノヴゴロドのユリエフ修道院の聖ゲオルグ大聖堂からの一枚です。
そして、サンクトペテルブルグ、ロシア美術館の、14世紀の初めの聖なる大殉教者ボリスとグレブです。
11世紀の皇帝一族ゲオルグの衣装と比べて、14世紀の皇帝一族、ボリスとグレブのカフタンはより長く、さらに金の刺繡、模様のあるベルトなど、豪華に派手になっていったことが分かります。こうした複雑さ、豪華さは、時代とともに深まっていき、カフタンの革新の継続が見て取れます。
さらに上図が15世紀のアイコンですが、 錦の襟が顕著な変化です。
さらなるカフタンの進化と分化
カフタンは変遷の過程でいくつかの別のアイテムに分化しています。より内側に変遷したのが、前回採りあげたジプンであり、より外側に変遷したのが、フェリアスと呼ばれるコート的なものです。
1640年代にロシアを訪れた旅行者オレアリウスがモスクワのアウターウェアについて書いた記録があります。
(ロシアの人々は)ルパシカとズボンの上に、膝丈の狭い非常に長い袖のカフタンを着用しています。カフタンの襟は広く、肘の4分の1の長さで、ベルベットで縁取られています。貴族の場合は金の布で縁取られています。別の外側に着るコートのようなものために襟は露出し、ボタンを外したままにします。カフタンの上は、ふくらはぎの長さまであります。この上衣はフェリアズと呼ばれます。フェリアズは厚く綿が入っています。とりわけ、このフェリアズは、公共の場に外出するときに着用されます。フェリアズは、青、茶色、または濃い緑色の布でできており、サテン、金などで美しくで刺繍されています。この上着は肩から落ちる長い襟を持っています、裾は金または真珠でトリミングされ、袖も非常に長く、手がほとんど見えないようにデザインされています。
フェリアズ
マント風になったカフタンは、秋冬に着られるフェリアズに変わりました。これは毛皮のコートと言ってもいいですし、また毛皮のコートの上に着る上衣と言ってもいいものです。
下の画像は、皇帝ヴァシーリー3世から寄贈されたフェリアズを着用するオーストリアの外交官、ジギスムント・ヘルベルシュタインです。
次のファリアズはおそらくはモスクワ大公アレクセイ・ミハイロヴィッチのものと思われ、毛皮のコートの上に着るためのものです。
上図は17世紀前半 モスクワ、ツァリツィン(ボルゴグラードの旧称)の工房で作られたフェリアズ。生地はトルコのゴールドサテンで、 ボタンはシルバー、袖は一直線に縫い付けられ、袖は幅が広く、腕よりもはるかに長く、先細になっています。細い絹の紐でできた8組の組紐を、4回折りたたんで、胸全体に縫い付けます。これはリスの毛皮で覆われていました。柄は、花、葉、芽をモチーフとしたものです。
各社会の階層に普及していったカフタン
この時期のカフタンの不便な点は、長くなりすぎた袖です。よって、17世紀に入って、袖を折ったモデルである、クントゥシュというスタイルが流行し始めました。
いかがでしたでしょうか。カフタンについてのお話はこれで終わりです。次回もロシアファッションブログは続きます。
参考資料
コメント