ロシアファッションブログです。このブログでは現在ロシアの発明シリーズをお届けしています。今回は前回に引き続きロシアの18世紀前半の発明です。
鉄筋
ここでいう鉄筋はもちろん鉄筋コンクリートおよびレンガ構造で使用される金属棒(通常は鋼)のことです。実際にはヨーロッパにおいて、石造りの補強に鉄筋は15世紀から使われていたことが分かっていますが、きちんとした記録で設計の中に取り入れられたのはロシアが最初です。この建築の補強構造は1725年から1732年にかけて、ロシアの実業家アキンフィデミドフの注文によって建設されたロシアの傾斜したネビャンスクの塔で使用されました。
イタリアのピサの斜塔のように、傾いていますが、これは構造の不備からではなく、地盤の影響であることが分かっています。
使用された鋳鉄に今日まで腐食がないという事実が証明されていますが、鉄筋としては非常に高品質だとの評価があります。
避雷針
避雷針は1752年にベンジャミン・フランクリンによって発明されたと考えられていますが、この日付より前に避雷針を備えた構造が存在する証拠があります。その一つが前出のネビャンスクの塔の鋼鉄製の屋根構造です。この屋根が避雷針の役割を備えていたことは事実で、かつ建築の終了した年は1732年ですから、フランクリンの1752年以前の出来事となります。
1826年にドイツのマインツ大聖堂が再建されたとき、このロシアの技術が2回目に適用されました。1840年代に建てられた聖イサアク大聖堂のドームは世界で3番目に3回目にネビャンスクの塔の技術が使われたことになります。
これらの塔の最上部には、金属球があり、フレーム補強で接地されているため、本物の避雷針になりました。
氷の宮殿
イベントとしての氷の祭典はそれ以前からあったでしょうけれども、氷で宮殿を造ったロシアが初めてだそうです。 1739年当時の女帝、アンナ・イヴァノワの命により、サンクトペテルブルグに造られた氷の宮殿には、数々の氷の彫刻が飾られていました。いくつかの絵が描かれています。
人力自動車
当時は自動車発明前ですから、人力馬車と呼ばれていました。1752年、ロシアの農民出身のい発明家、レオンティ・ルキャノビッチ・シャムシュレンコフであるニジニー・ノヴゴロド州において、2人で動くマルチシートの「自走式馬車」を発明しました。
今ならリカベントとかベロバイクとか呼ばれるものですね。発明に対する褒賞として大金が与えられたそうです。
いかがでしたでしょうか。ピサの斜塔ロシア版があることは今まで知りませんでした。しかも鉄筋の技術が使われていたとは。
次回もロシアの発明シリーズは続きます。
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