ロシアファッションブログです。ロシアの発明」の5回目、今日は11世紀におけるロシアの発明を見ていきましょう。
白樺の樹皮の手紙
ロシアにおいては、羊皮紙や紙の代わりに白樺の樹皮に手紙やメモを書いていました。ロシアのキリスト教化の直後に、白樺の樹皮の手紙が広まりました。白樺の樹皮の手紙の初期のもの(おそらく11世紀の第1四半期に書かれたもの)が、合計で1,000通以上、Veliky Novgorodで発見されました。他にも現ロシア、ウクライナ、ベラルーシ地域の古代都市でも少しは見つかっています。多くは一般人が書いたもので、聖職者や貴族が書いたものもわずかにあります。この事実により、一部の歴史家はモンゴルの侵略前のロシアの識字率は西ヨーロッパよりもかなり高かったはずと考えています。
以下に実際の手紙を載せておきます。
その翻訳文:MestiataからGavshaとSdilaへ。私のために馬を探してください。そして、Mestiataはあなたに頭を下げます(2人)。何か必要な場合は、私に送って、[送ったもの]に手紙を入れてください。Paulにお金を頼む。Mestiata… ‘
翻訳文:ブラットからネジルへ。 家に帰りなさい、息子-あなたは自由だ。 もしあなたが行くことができない場合、私はあなたのために保釈金を送ります。 私は20hryvniasを支払いました、そしてあなたは自由です。
帆船仕様の砕氷船
ロシアには古代から帆船仕様の砕氷船がありました。これらは北極海とシベリアの厳寒の川で航行するために使用される、1つまたは2つのマストの木造帆船です。11世紀、ロシア人によって開発の進んだ白海の沿岸探索に使われたのが初めてです。
帆船は、喫水線に沿って(オークまたはカラマツでできた)覆いをすることにより、船を流氷から守り、安全に氷の上を航行させることができました。帆船仕様の砕氷船の外観の特徴は卵形の形で、後にナンセンによってフラム号で使用され、その後、マカロフのエルマク号の設計に使用されました。
氷が船に圧着したときに、卵型の船の形と覆いで、船は過度の過負荷にさらされることなく安全に航行できました。
グドック
グドックは、古代東スラブの古代の弓弦楽器です。一般的には、3本の弦があり、通常は楕円形または洋ナシの形をした木製のくり抜きまたは接着された本体と、共振器穴のあるフラットデッキを備えています。ヘッドはまっすぐのものもあり、少し曲がったものがあります。楽器の長さは、300〜800 mmです。
かるいので、引きながら演技のできる道化師に人気のある楽器でした。
「グドック」という名前は17世紀に定着したようですが、同様の種類の楽器が11世紀から16世紀に存在しており、その時はスミック(смык、閉鎖)と呼ばれていました。[16]
ミエドヴナ
ミエドヴナは古代のスラブの蜂蜜ベースのアルコール飲料で、いわゆる蜂蜜ビールに非常によく似ていますが、より安くまた早く製造できます。
古代スラブ人は発酵した蜂蜜を高級品としてヨーロッパに大量に輸出してきました。自然発酵により15〜50年間行われたものを製品にするため、非常に高価であり、貴族しか口に入れることができませんでした。
しかし、11世紀、東スラヴ人は蜂蜜の混合物を加熱して発酵を促進する方法を発見したため、ミエドヴナがキエフルーシで普及されるようになりました。14世紀の蒸留の発明により、現代のミエドヴナのプロトタイプを作成することが可能になりました。因みに自宅で作ることもできます。ただし発酵をうまく行うための準備は念入りに行わなければならないので作る場合は気を付けてください。
因みにこれと同時に発明されたのはウオッカですが、これについては別の機会に紹介します。
ロシアの拳の戦い
「ロシアの拳の戦い」 は古代ロシアの格闘技であり、現代のボクシングに似ています。当ブログにはマスレニッツアの特集で一度登場しています。「ロシアの拳の戦い」にはいくつかのローカルな手法と技術があります。
なかでも、壁対壁と呼ばれる集団戦が有名で、キエフルーシのの時代から存在しており、1048年にロシアの年代記(過ぎ去った年の記録)で最初に言及されています。
ロシア正教会の指導者たちはしばしばこうした戦いを禁じようとしましたが、19世紀まで人気は持続し、20世紀になると、この格闘技術が現代のロシアの武術に移行しました。ロシアや周辺諸国のボクシングが強い理由はここら辺にあるかもしれません。ポヴェトキンと少し古いですがコスチャの映像を挙げておきます。
いかがでしたでしょうか、
今から1000年前、ロシアでは今に通づる、砕氷船、弦楽器、発酵飲料、格闘技が生まれていたんですね。
ロシアの発明シリーズは次回も続きます。
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