ロシアのお祭り Масленица
ロシアファッションブログです。今回もシリーズとして、スラブ異教の儀式についての話題をお届けします。現代のロシアで生き残った異教の休日はあまりありませんが、そうした中でも、前回にお届けした話題のイヴァン・クパラと同様、ロシア全土で今も行われている儀式がもう一つあります。「ざんげ節」と訳される「マスレニッツア」です。
キリスト教の四旬節の1週間前に祝われます。断食する前に最後に肉を食べることができたのはこの日だったので、多くの家族が壮大なパーティーを催すために集まることが習慣でした。この祝日は、現在「ブリネ週間{パンケーキウィーク)」などとも呼ばれています。
まずは「マスレニッツア」(ざんげ節)の概要をご紹介し、その後宗教的、歴史的背景を少し詳しくお話しすることとします。
「マスレニッツア」(ざんげ節)の概要
ざんげ節の主な目的は、四旬節のために精神的な準備をすることです。四旬節の間、肉は食べることができないので、他に美味しくて、精神的に満足できる食べ物を振舞うことがその一つの方法として採られました。
興味深いことに、この儀式はキリスト由来の物ではなく、キリスト信者からとってみれば異教の人々の春至の休日であり、お祝いでした。このざんげ節を通して、ロシアのパンケーキ、ブリネを焼くという習慣がありますが、この習慣は「マスレニッツア」(ざんげ節)発祥のずっと後、つまり割と最近定着したものです。パンケーキはまん丸く作りますから、太陽に似ていることがお祝いらしい縁起のいい形になったと考えられています。
当初は、異教徒のお祭りと言われ、教会やキリスト信者からは攻撃され、かつては完全に禁止されたこともあります。お祝い中に多くの男性が重傷を負うこと(後述)を非常に心配した皇帝アレクセイ・ミハイロビッチによって布告された禁止措置ですが、誰もこれらの王室の布告に従わず、毎年、ざんげ節の習慣を繰り返してきており、その定着度は安定していました。
しかし、その後のエカテリーナ二世とピョートル大帝は、ざんげ節の楽しい習慣、つまりそりに乗ったり、踊ったり、熱いパンケーキを食べたりする、本当のお祭り騒ぎがとても気に入っていたため、禁止令は忘れ去られ、彼らの治世中には、ブリネ主役のお祭りとなり、かなり頻繁に開催されました。こうして、ざんげ節は今日ロシアで最も人気のある国民の祝日であり、お祭りとなりました。
ざんげ節を祝い始め、継承してきた人々は今から比べると当然非常に貧しい生活を送っていました。だからこそ、家族全員ができる限り沢山の、かつボリュームのある料理を作ってゲストを招待し、素晴らしいお祝いをしようとたという背景があります。
ざんげ節、マスレニッツアは美味しい食べ物や飲み物の饗応に終始するわけではなく、その週は楽しいダンス、乗馬、そり等のイベントが盛りだくさんです。それに加えて、未婚の女性が結婚の夢をこのお祭りに託すことは、古来スラブの儀式やお祭りごとにつきもののことです。例えばお祭りの間に催されるグル-プでの共同スケートの間、彼女らは思いを寄せた男性と、加えて相手の家族に積極的なアピールをする機会となります。なぜなら当時その結婚相手の選択はそれぞれの父親と母親の決定に依存していたからです。
ロシアでは、パンケーキ(ブリネ、あるいはブリヌイという)は子供から大人まで愛されており、ざんげ節の最中だけでなく、この料理に対するロシア人の特別な思い入れがあり、食文化の中核を占めるものです。各家庭の主婦はそれぞれに独自のレシピを持っているため、常にパンケーキの準備では家族間の競い合いがあります。そしてその味は親子間で継承され、世代から世代へと受け継がれます。当初、パンケーキの丸い形は、太陽を連想させるために、異教徒によって選ばれました。彼らの宗教で最も崇拝されていたのはその丸い形であり、パンケーキという食べ物でした。
スラブの人達はこのパンケーキはすべての死者を追悼して焼くという意味を持っていましたし、最初に準備ができたパンケーキは常に貧しい人々に与えるという習慣も持っていました。パンケーキは、朝昼晩と一日中食卓に出され、しばしば他の料理とも組み合わされるものです。サワークリーム、ジャムまたは卵を添えて提供され、裕福な家族はキャビアやイクラを載せてパンケーキを食べることもしばしばです。
スラブの慣習では、パンケーキはお祝いのテーブルにおいても重要な一品であるため、普段の時でも特別な時でも常に焼かれるものです。パンケーキと一緒によく出されるものは、ベリー、蜂蜜とジンジャーブレッドのクッキー、醸造ビール、アロマティーなどです。
いかがでしたでしょうか。次回も「マスレニッツア」のお祭りについての続きをご紹介します。
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