ロシアファッションヒストリー ロシアの水着のシリーズです。前回は1930年代のロさの水着を同時代の米国と比較しました。今回は1960年代のロシア(ソ連時代の水着)を同時際の欧州と比較してみましょう。
1960年代欧州
ビキニは米国では50年代、ヨーロッパでは60年代に普及しました。
ソビエト連邦は、下着としての小さいパンティーがそうであったように、ペレストロイカまで原則かビキニを輸入しませんでしたし、自国生産はもってのほかという雰囲気でした。共産党トップがそのようなモデルを卑猥だと考えていたからです。
1960年代ソ連
体操着もビキニの材料になっていたかも。
暗めの水着の色合いは、花で飾ることによって華やかに。
上の当時ソ連だったウクライナ共和国、オデッサでの画像です。1967年の水着で、縞模様という控えめながらですがここには工夫があって、細かい模様なので、ビキニを着ずとも、胸のボリュームを強調しています。ソ連の女性は、厳しい共産党の目があっても、工夫によってファッションを楽しんでいたことがよくわかります。
さて1970年以降は結構ソ連にも海外のスタイルが入ってきますので、あまり比較の意味がありません。なので、ソ連の水着のみ挙げていきます。
1970年代ソ連
70年代、輸入の水着を購入することは可能でしたが、ソ連の国民にとってはもちろんとても高価なものでした。
70年代でもビキニはまだ自分で縫製されていたか、高いパンティーから作り直されていました。販売されていた水着は、おへそあたりまでの丈のものが一般的でした。
ソビエトのオリンピックのマスコット、ミーシャがいます。女性の水着は柄だけ見ると大分華やかになってきました。
当時は、輸入品も増え、水着も欧米のものが入りつつある時代です。ただ国営デパートでの水着の売り出しの日には、通りまでの長い列ができて、すぐに売り切れになってしまうようなそんな時代でした。
1990年代ソ連
おじいさんのウオッカの瓶や、おじさんの入れ墨を見ればソ連の人たちと分かりますが、ただ見せられたら欧米先進国の写真と言ってもわからないくらいに、水着においては文化の差がなくなっています。
ただし、ビーチの背景としては、ロシアには細かい白砂の幅広いビーチが存在しないので、いつも草木が多いのが特徴です。また海ではなく、川や湖での水遊びだったかもしれません。
いずれにせよ、短い夏を肌を露出させて楽しんでいる表情が印象的でした。
次回も水着の話は続きます。
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