ロシアファッションヒストリー ロシアの水着のシリーズです。前回は17世紀から20世紀初頭までの水着に関する出来事をまとめました。今回から話題は1930年代のロシア(ソ連時代の水着)に入ります。
さて、ロシアの水着を語るために、米国・欧州との比較をしたウェブサイトをいくつか見つけましたので、それらの画像を使わせてもらいながら見ていきましょう。またロシアと言っても革命後ですので、ソ連と言わせていただきます、元資料の表記もソ連ですので。
では、まずは何枚かソ連時代の水着の画像をご覧ください。
ソ連時代、ビーチでのプライベート写真
ソ連時代、1960年代までは、女の子用の水着は流通していませんでした。ビーチで女の子たちは普通はパンティーしかつけていませんでした。下の画像を見ると、もう乳房が膨らみ始めているのにです。一つの理由として、太陽の出る時期が少ないロシアの話ですから、夏の太陽をいっぱい浴びさせようとした親心の反映だとも考えることはできます。一方、それでも水着を着させたいという親たちは、1950代から70年代に、自分で水着を縫い付けたいいます。水着のパターンが掲載された雑誌が出回り始めました。
この写真を撮った人は「これをソ連のセンスの無さと見ないで下さい」と言っています。1950年代の米国の田舎の写真を見ても、人々の顔やスタイルは上の画像と大して違いはなかったはずだとのことです。
では1930年代から50年代まで米国の水着とソ連の水着を比較してみてみましょう。
1930年から40年の米国の水着
ロシアの日常の写真をハリウッドのスターやファッションモデルと比較するのは誤りですが、まずは商業的な画像から。
水着のコメントを入れようと思いましたが、女性の体形と男性の髪形がいかにもロシアっぽい、ということしか浮かびません。
画期的な出来事として、ルイ・レアールとジャック。ハイムよるビキニのデザインの製作です。実際には1946年7月5日に発表されたものですが、普及は50年代に入ってからです。
ルイ・レアール
ジャック・ハイム
当時、ビキニの登場は世界中で活発な議論を呼んでだそうです。スペイン、ポルトガル、イタリアなどのカトリック諸国では、ビキニは禁止されていました。海岸にビキニ姿で現れた観光客は、スペインの警備員によってホテルに戻された時代です。
アメリカでも、自由な国と言いながら、勝手な道徳観によりビキニが定着するには多くの時間を要しました。
1950年代のソ連
表情の暗いのは気になりますが、水面への反映で10のキャラクターになっているし、シルエットも流麗でいい写真です。
家族で何を見ているのでしょうか。この時代の子供の海岸では下着です。1965年、ソ連生まれの嫁も、5歳のころ裸で海水浴した記憶があるそうです。
いかがでしたでしょうか。一応画像ではアメリカとソ連を比べはしましたが、その比較論よりも、ソ連の人々の浜辺での幸せそうな表情が際立った一連の画像となりました。衣装を気にする以前に太陽と水と戯れることの方が重要だったんですね。ソ連時代には水着のファッション論はいらないというのが結論でしょうか。
次回は時代を進めて、ロシアの水着のシリーズは続きます。
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