ロシア民族衣装のお店キリコシナ
ロシア民族衣装のお店 キリコシナ

ウラルを越えた民族 チェチェン2 ロシアファッションブログ164

未分類
出典:https://zen.yandex.ru/media/id/5ac1beb600b3ddf90fccffd9/chechenskaia-svadba-nevesta-molchit-a-jenih-v-drugoi-komnate-5d849258a06eaf00ad1d6287
この記事は約10分で読めます。

ウラルを越えた民族 チェチェン2 ロシアファッションブログ164

ロシアファッションブログです。前回はウラルを越えた民族 チェチェン の第1回目をお送りしました。今回はチェチェン、第2回目です。

本日のテーマとして、チェチェン民族の伝統についてお送りいたします。

 

チェチェンの家族の中の花嫁

チェチェンの伝統として、女性だけが料理をすることが厳格な習慣として認められます。ただし葬式でのみ男性が主に食事の準備をすることが見られまが、これは単に葬式にチェチェンの女性が参加を許されないためであるという理由からです。

出典:http://www.bolshoyvopros.ru/questions/1651545-pochemu-na-pohoronah-v-chechne-muzhchiny-derzhat-otkrytymi-ladoni-foto.html

伝統的なチェチェンの家族では、女性は常に家族の長の後に食べることが許されていました。現代のチェチェンの家族では、多くの場合、全員が同じテーブルで食事をしますが、家族の長への敬意そのものは常にあります。

2011年から現在までのチェチェン共和国の主張であるラムザン・カディロフが歴史的に時代遅れの「花嫁の略奪」を法律で廃止したという事実があります。この略奪婚は話題性や流行したソヴィエト映画からあまりに強調されすぎた面もあり、疑う歴史家もいます。

Ramzan_Kadyrov
出典:https://ru.wikipedia.org/wiki/%D0%9A%D0%B0%D0%B4%D1%8B%D1%80%D0%BE%D0%B2,_%D0%A0%D0%B0%D0%BC%D0%B7%D0%B0%D0%BD_%D0%90%D1%85%D0%BC%D0%B0%D1%82%D0%BE%D0%B2%D0%B8%D1%87

こうして略奪婚そのものはなくなったとしても、これから派生した習慣そはいまだ存在しています。例えば結婚式での新郎の役割はごく小さなものです。チェチェンの伝統的な習慣では、「新郎は結婚式に出席してはならない」とさえ書かれています。原則として、新郎は、式の行われている隣の部屋に座って待っていることが多かったようです。

ソヴィエト映画の1シーン
出典:https://vestikavkaza.ru/pvk/kulytura/Gid-Pokhishchenie-nevesty-na-Kavkaze

 

もう一つ、こちらは今日まで生き残った興味深いチェチェンの結婚式に関する習慣があります。これは「花嫁の言葉を開放する」と呼ばれるものです。

チェチェンの伝統によれば、花嫁はこの特別な儀式が終わった後でないと夫の家で話す権利がありませんでした。現代のチェチェンの家族では、この儀式は、原則として、結婚式の日に行われるので問題はありません

儀式はこんな形です。儀式の初めに、義父は花嫁に天気について尋ね、彼女と話をしようとします。しかし答えを得られず、彼は彼女にコップ一杯の水を持ってくるように頼みます。花嫁が夫の父親の指示を実行し、グラスを手に持って彼に戻ると、義父はなぜコップを持ってきたのかと息子に問いかけます。息子もやはり沈黙した後、父親はコップから水を一口飲んで、コップの載せられたトレイにお金を入れ、もう一度花嫁に「話しかけ」ます。この儀式の後でのみ、花嫁は夫の家族で話す完全な権利を得ることができます。

 

しかし、この伝統は、チェチェンの家族における女性の立場が屈辱的であることを意味するものではありません。それどころか、チェチェンの慣習によれば、相互の同意なしに男性と女性を結婚させないこと固く守られています。これは、こうした結婚が彼らの子供たちの精神的および肉体的発達に影響を与える可能性を強く信じているためです。多くの歴史家によると、こゥした考え方は古くからあり、まさに、花嫁の誘拐が真のチェチェンの習慣ではないと考えられている大きな理由です。

 

これらの戒めの遵守は、古いチェチェンの伝説の中で美しく表現されています。「父親と兄弟の意志を実現するために結婚に同意した少女を花婿の家に連れて行ったとき、本当は彼女は別の人を愛していました。その時、若い男は少女の目に悲しみを感じ、その理由をやさしく問いました。そして、彼女が星空の元、他の男性への大きな愛について話したとき、その後は彼は彼女に指一本も触れませんでした。彼は彼女を家から連れ出し、彼女の憧れの恋人の家に連れて来ました。それ以来、2人の若い男性は友達になり、戦いではお互いに命を捧げる兄弟の契りを結んだとのことです。人生は私たちの手にありますが、愛は神から授かったものなので背くことができません。」

出典:http://www.checheninfo.ru/252634-chechnja-kak-prohodil-chechenskij-svadebnyj-obrjad-v-dobrye-starye-vremena.html

 

古い伝統によれば、チェチェンの人々は、春は創造者から人々に与えられていたと考え、よって若い男性と女の子は春に出会うものと考えました。チェチェンの習慣によると、女の子と若い男性は二人きりでにデートすることはできませんでした。最愛の人とは、彼彼女の家族や友人を常に伴って会うのが常でした。友人を伴った逢瀬はいつも暗くなる前に行われましたが、午後になると、女の子は従順で勤勉であることを母親に示し、母親から行く許可を得なければなりませんでした。そして女の子は男の子を待たせた後に待ち合わせ場所に来ました。チェチェンの人々の間では、今日でも女の子が、デートの際に先に現れることはありません。

 

チェチェン人は、200年前と同様今日でも、女性に向けられた不適切な言葉に非常に敏感に反応し、それを侮辱として認識することに注意する必要があります。これは、家族の女性が見知らぬ人と何らかの関係を持つことは最大の恥であるという古来の考え方によるものです。チェチェン共和国では、今日でも、自由奔放な行為に及んだために女性をリンチするというケースがまれにではありますが発生します。そのような厳しい罰の理由は、主にチェチェン人が女性側の系統に沿った遺伝を特に重要視しているという事実にあります。チェチェン人の女性が外国人と結婚話が持ち上がると、親戚や仲間の村人から非難されます。チェチェン共和国の法律上は、男女とも国際結婚は認められていますが、チェチェン人の女性が外国人と結婚することは非常にまれです。

出典:https://noev-kovcheg.ru/mag/2014-15-16/4683.html

 

もうひとつ、今日まで生き残っているチェチェンの伝統の中には、女性の裁縫の能力が最低限の義務であることがあります。したがって、結婚に際してはチェチェンの花嫁は必然的に持参金としてミシンを持って相手の家に入ることになります。

出典:https://www.asi.org.ru/news/2021/03/10/v-chechne-otkryty-besplatnye-kursy-krojki-i-shitya-dlya-zhenshhin/

 

 

何世紀にもわたってチェチェンの人々によって崇拝されてきたさらなる伝統の中で、病人に対する特別なケアに注意を払う必要があります 。病に伏した場合、年齢に関係なく、常に友人や知人が訪れ、経済的、精神的なサポートを惜しみません。チェチェン人は病気の人の隣でその病気について話しま決して話さず、落ち込んだ気持ち少しでも励まそうとします。そして病人の親戚や友人が仕事を手伝うことさえ請け負いますが、これらは単にチェチェン人の思いやりというよりも、伝統と教育が背景となったこの民族の習慣です。

 

 

チェチェンの男性に焦点を当ててみます。伝統的にチェチェンの男性には、寡黙、落ち着き、抑制的、言葉の重み、などの資質を備えていることが求められます。習慣的に、威厳を維持するためチェチェンの男性は見知らぬ人の前で妻に微笑むことさえせず、知人の前で子供を腕に抱くこともありません。

チェチェン人男性のもう一つの特徴は、友人知人と会うときの気配りです。まず第一にこうした気配りがあいさつに現れます。すべてのチェチェン人男性はこう尋ねます。「家族みんな元気ですか?」別れるときは、「私の助けが必要ですか?」。特に高齢者に支援を提供することは決して忘れません。

 

以上のチェチェンの伝統や習慣も、20世紀後半の戦争が、現代のチェチェン人に大きな影響が与えられたと考えることができます。たとえば、本物の弾薬がおもちゃとして使われることもあるチェチェンでは、若者世代の戦争に対する抵抗を少なくし、無意味な勇敢さを生み出したとも考えられます。

 

今日、チェチェン政府はこれらの若者の意識を社会問題ととらえ、解決のために奔走しています。チェチェン共和国の町や村を再建し、仕事やスポーツクラブを組織し、学校を増設しただけでなく、共和国以外のチェチェン人々のためにもなる、文化やチェチェン語の研究に関するプログラムも支援しています。そうした努力の結果として、最近新しいチェチェン-ロシア語辞書が発行されました。その著者は、言語学博士のZulayKhamidova教授です。この本には2万以上の純粋なチェチェン語が含まれており、辞書には多くの有用な資料と新たな単語の書き起こしが含まれています。チェチェン語では日本語と同様、同じ単語にいくつかの意味があり、異なるイントネーションで読み取られるため、こうした辞書は、教育や文化継承のためとても貴重なものです。

ところでチェチェン文化といえば、チェチェン人は、独自のファッション、そして音楽や舞踊も大切にしています。次回以降はこの話題を取り上げることとし、今日はここまでとします。おつきあいくださりありがとうございます。

 

参考資料

ЧЕЧЕНЦЫ И ИНГУШИ — Народы Курганской области
Депортация чеченцев и ингушей — Википедия
https://mon95.ru/activity/type-of-education/additional-education/general-information/chechenskii-eticheskii-kodeks-k-onakhalla
Чеченцы — Википедия
Ингуши — Википедия
https://xn—-8sbiecm6bhdx8i.xn--p1ai/%D0%A7%D0%B5%D1%87%D0%B5%D0%BD%D1%81%D0%BA%D0%B8%D0%B9%20%D0%BD%D0%B0%D1%80%D0%BE%D0%B4.html
КУЛЬТУРА ЧЕЧЕНСКОГО НАРОДА: ТРАДИЦИИ, ПРОШЕДШИЕ СКВОЗЬ ВЕКА - Кавказ: новости, история,традиции
Традиционный уклад ингушей
Корни ингушей восходят к шумерам, урартам, хурритам, гаргареям, их язык входит в нахскую группу языков северо-кавказской языковой семьи

コメント

タイトルとURLをコピーしました