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ロシアファッションヒストリー44 ルパシカの歴史4

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ロシアファッションヒストリーのブログです。ルパシカの歴史シリーズの最終回です。前回はルパシカの19世紀における歴史を紹介しました。今回はいよいよ現代のお話です。

 

20世紀および今世紀のルパシカ

「ロシア風ファッション」の流行を経てきた今の時代、ルパシカの形は少しづつ変わり続けています。チュニックの作り方では、サイドパーツ、つまりわき腹の部分は胴回りと別に左右2枚の生地を縫い合わせていましたが、現在では手に入る生地の幅が広くなったため、このサイドパーツを別途用意する必要がなくなり、また意匠性の観点からも、1つの縫い目で縫い合わせられるようになっています。また丈が著しく短くなっていますが、これはジャケットの下から突き出ないようにするためでもあり、また従来のニッカボッカ用のパンツからストレートパンツに合うようにするためでもあります。肩の縫い目の位置が変わり、シルエットも着心地も良くなっています。

20世紀のルパシカ スヴェルドロフスク地域のアラパエフスキー地区

これは、別途発展してきたジャケットやズボンのファッションへの参入という意味もあります。またこうした変化が起きたのは、より複雑なパーツを切り取ることができるようになった裁縫師のスキルの向上によるものです。民族衣装としてのルパシカのシルエットは現在上記のものが一般的と言ってよいでしょう。

以下に、この形を踏襲した、真にロシア的なルパシカは、日本でも入手可能でいくつかのモデルがあります。

 

1920年代と1930年代には、折り返しの襟付きのシャツが作られました(下図2枚)。ただしそれらはさらに祈祷服として、あるいはロシア文化のほんの一部として、古儀式派の信者の日常生活にのみ残りました。

1920粘弾、折り襟、シルクのルパシカ ニジネシンヤチキンスキー博物館蔵
1920年代、折り襟付きルパシカ。スヴェルドロフスク地域のアラパエフスキー地区、ゴラブコフスキー村博物館蔵
この時期、海を渡ったロシア人の中にも、古儀式派の信心深い信徒がいました。そうした南北アメリカの信者たちの間で、現地で購入した質の高い生地を使って、同様に袖口と襟の中央に飾りをあしらったルパシカが登場しました。胸の飾りが真ん中でもあるにかかわらず、細めの刺繍がら1本で仕上げられているのが、独自のスタイルと言われる所以です。
アメリカ合衆国オハイオ州の古教義信者、20世紀後半

 

20世紀にはすでにシャネルやイブ・サンローランが女性向けにロシアファッションをテーマに多くのデザインが世の中に出ていたことはすでに紹介いたしました。ロシアに存在した男性ファッションに関してはこれまで大きく脚光を浴びたことはありませんが、21世紀の初めには、ロシア民族回帰への関心を背景に、VARVARA ZENINAのような現代のロシア風ファッションのみをテーマに紳士服も含めた衣装を提供するブランドが現れています。

Varvara-Zenina
出典:https://ruvera.ru/articles/varvara_zenina_intervju

Varvara-Zenina-Wedding-Costume
出典:Varvara-Zenina-Wedding-Costume

ルパシカという素材は、単に民族衣装としての歴史的観点からの興味だけでなく、女性のサラファンのようにファッションの1アイテムとして定着する可能性を有しているのかもしれませんね。

さていかがでしたでしょうか、ここまで4回にわたりロシアのルパシカに関する歴史を追ってまいりました。ルパシカのモチーフとなった刺繍のテーマは、ルパシカに限らず女性用のサラファンにも、その他の装飾品やロシアの美術品にも必要不可欠な伝統の要素です。

次回は「ロシアの霊性」と題してロシア伝統のモチーフとなる絵柄や記号について紹介していきます。

参考文献およびウェブサイト(すべてロシア語です)

https://vrns.ru/analytics/1394

https://club.osinka.ru/topic-180010?start=15
・R.V.サハルジェフスカヤ「衣装の «歴史:古代から近代へ
・カミンスキーN.M.「コスチュームの歴史」
・Далю(ダーリョ)「Толковый словарь живого великорусского языка」

https://ruvera.ru/istorija_russkoj_rubahi

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