ルパシカやサラファンなど、ロシアのファッションのブログです。前回からルパシカの歴史について特集しています。
近世後期のルパシカ
XV-XVII世紀の時代のルパシカに関する情報からは、それ以前に比べて多くのソースが存在するため、製品のカットと装飾の両方を学ぶことができます。モスクワのクレムリン下の発掘中に発見されたものが多く、それらはモスクワクレムリン博物館と州立歴史博物館の両方に保管されています。
https://collectiononline.kreml.ru/iss2?group-by=fund
2007年の発見の1つは15世紀にさかのぼるものです(下図)。丸首ラインと中央にスリットが入ったチュニック型のシャツで、いくつかの断片が採取されました。シャツの内側から縫い付けられた生地は摩耗から保護されています。同様の製法が、今日でもさまざまな地域の伝統的なルパシカを作る際に応用されています。
発掘調査で見つかった16世紀から17世紀までのさまざまなルパシカ(以下3つの画像)は通常膝までのチュニック型のもので、サイド部分と袖の間に正方形の生地(対角線で織っているので、図では三角形に見えます)が挿入されています。襟の形状は、ほとんどの場合、スタンドカラーの無い襟首です。カットは横にも、中央にも見られます。
この時代のルパシカの特徴 は、襟のカットの処理に表れており、片方がボタン、もう片方がそのボタンを入れる輪が、それぞれ糸で織られていることです。木や骨などのボタンは使われていませんでした。
もう一つの特徴は、シャツの縫い目には、飾りの役目をする、赤い布または糸でできたラインが施されていたことです。襟と袖口にロシア伝統の刺繍技法、タンブール技法を使用して金または絹の刺繍を施されているものもあります。
タンブール技法というのは、布に、刺繍針ではなく、かぎ針を使って刺繍していく技法なのですが、ロシア語ではあるものの動画が見つかったのでご覧ください。
伝統的な刺繍技法と言っても、嫁に聞いたら今でも普通に使っている刺繍法らしく、うちの子供のバスタオルにイニシャルを縫ったときには、タンブールでやったと言っていました。
この時期のルパシカのもう一つの特徴として、画像では少し見にくいですが、裾に切り込みが入っていることです。シャツの素材は、前述したように麻やイラクサの白い布またはシルクでした。
研究者の間では、これらは日常のものとは異なる葬式用のルパシカであろうという意見があります。しかし、もう一つの意見として、中世においては最も大切なルパシカ、つまり休日用、結婚式などの祭礼用のルパシカを持ち主がなくなった際に、遺体と一緒に埋葬したのだという意見もあります。
ところで、ロシア人はヨーロッパ人が着ていなかった下着を着用する場合があったという史実が明らかになっています。日本の史実が外国人の記述により明らかになるという例がありますが、ロシアでも同様、ロシア人にとっての外国人、1589年にモスクワの英国大使館の大使だったD.フレッチャーの記述によると、装飾のない軽い生地で作られたのシャツ срачица (sracha といいますが、これと上に着るルパシカの2つのシャツを着る習慣があったとのことです。この習慣はまた、中世初期から起こったと考えられています。
いかがでしたでしょうか。作りはいたって簡単なルパシカではありますが、長い歴史の中で色々な意味づけがされているのが興味深いところですね。次回もルパシカの歴史は続きます。
参考文献およびウェブサイト(すべてロシア語です)
・https://vrns.ru/analytics/1394
・https://club.osinka.ru/topic-180010?start=15
・R.V.サハルジェフスカヤ「衣装の «歴史:古代から近代へ
・カミンスキーN.M.「コスチュームの歴史」
・Далю(ダーリョ)「Толковый словарь живого великорусского языка」
・https://ruvera.ru/istorija_russkoj_rubah
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