ロシアファッションのブログです。前回に引き続き、1900年から1910年までのファッションのわき役、眼鏡、傘、扇子、靴などのアクセサリー類のお話を続けます。
眼鏡
当時の女性の1つの特徴的なアクセサリーはローネット(持ち手のついた眼鏡)でした。
「ローネットが1900年当時のロシアファッションにおける重要なアイテムだった。」とは衣装研究家のアレクサンドル氏が言うものの、実際のところあまりしゃれ感覚はないですね。いろいろウェブで画像など探してみましたが、「これはすばらしい「」というものが見つからず、これ以上の情報は断念です。きっと、アレクサンドルさん自身が眼鏡をかけているので、ファッション史に取り入れたかったのかもしれませんね。
次行きます。
傘
太陽からの日焼けから肌を守る傘は当時の女性の必須のアクセサリーでした。前述のように、外観に不可欠な要件は「貴族の白」だったからです。そのような傘の最も顕著な装飾の特徴は、刺繍とレースです。これはファッションの主役である婦人服の装飾のツールと同じでした。当時。ロシアで最も人気のあった傘店は、サンクトペテルブルクのネフスキー大通りとモスクワのクズネツク橋にありました。
扇子
扇子も無視することのできないファッションの名わき役です。一説によると、扇子は当時の夜会にどうしても必要なものだったと言います。それは夜会における照明は、ろうそくや油による明かりで、冬なら問題ありませんが、ロシアと言っても夏は暑く、夏の世の夜会では相当の暑さになったのです。そのため、扇子は夜会における必需品だったのです。よって、産業革命後の照明が、電気に移行したため、扇子の必要性がなくなり、1910年代には急速に需要がなくなりました。
それまでの扇子は、アールヌーボーのスタイルで装飾され、その特徴的な特徴は、不均一なエッジと、ポピー、アイリスなど、アールヌーボーのお気に入りの花のモチーフが使われたものが多く残っています。興味深い話として、1905年の日露戦争の後、日本の扇子は、ロシアで人気を博し、大流行しました。いわゆる敵国の文化が受け入れられたこと、しかもロシア側が負けているにもかかわらずこうしたことが起きたというう事実。ロシア人のおおらかさなのか、ロシア人にとっての辺境の地の小さな戦いとしか考えられていなかったのか、考証に値する事実ですね。
扇子の中でも、鳥の羽を使った扇子は非常に人気がありました。帽子と同じですね。最も安価なメイドさんが使っていたものから、貴族の持つダチョウの豪華なものまで種々の羽が使われたそうです。高価なものは、ダチョウの羽は当時でも貴重なカメ甲羅ののフレームで作られ、ダイヤモンドでトリミングされました。加えて、ロシアのすべての高貴な家族は、独自の紋章と王冠を持っており、そうした装飾も施されています。
靴
もう一つのファッションのわき役は靴です。この時期のロシアの靴は主に国内製のものでした。大きな靴店がはモスクワ、サンクトぺテルブルグ、カザンにありました。この時代の靴のデザインでは、フレンチヒールととがった先が特徴的でした。ロシアの婦人靴の特別な特徴は、ビーズ、刺繍、真珠などの豊かな仕上げでした。
そのころからあった通販
1900年代 ロシアのロシアでも通販がありました。もちろん電話もネットもなかった時代ですから、今のような形でなありません。いずれにせよ手紙や現金を送ることで注文と支払いができましたし、靴などは必ず型を取りますので、一度作ってしまえば、何度でも注文できたわけです。つまり通販というより、メールオーダーですね。このシステムは、ロシアが広いがゆえに割と広く流通しており、当時首都から離れた都市の住民が利用していました。メールオーダーでよく注文されていたのは、コルセット、傘、帽子、靴、を代表にその他多くの必要なファッションアイテムが対象でした。したがって、首都のファッションはほとんどすぐに帝国の最も遠い郊外-極東、シベリア、中央アジアなどに到達したのです。
次回もロシアファッションの話は続きます。
参考文献およびウェブサイト(すべてロシア語です)
・http://lamanova.com/16_competitors.html
・https://russian7.ru/post/kak-poyavilas-kosovorotka-u-russkikh/
・https://vrns.ru/analytics/1394
・https://club.osinka.ru/topic-180010?start=15
・R.V.サハルジェフスカヤ「衣装の «歴史:古代から近代へ
・カミンスキーN.M.「コスチュームの歴史」
・Далю(ダーリョ)「Толковый словарь живого великорусского языка」
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