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ロシアファッションヒストリー27 ロシアファッションの変遷1900から1910年 3

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ロシア、ウラル地方の市場
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ロシアファッションに関するブログです。前回は、1900年から10年間のロシアにおける有名デザイナーやファッションショーについて紹介しました。今回は、当時のロシアファッションのわき役たちと題して、衣装の装飾素材や宝石などを特集します。

ロシアファッションのわき役たち

ロシアのファッションで目立つ装飾、レース

1900年からの10年間、それはロシアにおける 国産素材の使用への回帰の時代でもあります。ロシア国産素材の一つはレースでした。当ブログでも、ロシアの衣装の裾の処理にレースが多用されていることを紹介しました。この時代は建築、家具、絵画においてもロシア風に大きな関心のある時代だったんです。

19世紀ロシアのレース
出典:http://lacejourney.com/moscow-mgomz-exhibition-empire-of-lace/

19世紀のロシアのレース
出典:http://lacejourney.com/moscow-mgomz-exhibition-empire-of-lace/

 

レースそのものは15から16世紀の間に発明されたことがわかっています。そしてロシアにイタリアからレースが渡ってきたのは17から18世紀の間です。イタリア人は、XVII-XVIII世紀の変わり目に西ヨーロッパからロシアにやって来ました。そういう記録はあるのですが、当時から保存されているレースの中でヨーロッパ製のものは少なく、ほとんどがロシア製のものだということです。どう見分けるかというと、それは刺繍の丹念さにおいて、明らかにロシアのものは他国製と比べて際立っているからです。

19世紀末期のロシアのレース         出典:http://lacejourney.com/moscow-mgomz-exhibition-empire-of-lace/

20世紀初頭のロシアのレース
出典:http://lacejourney.com/moscow-mgomz-exhibition-empire-of-lace/

 

刺繍の丹念さに限らず、ロシア人が装飾に大きな関心を持ち、お金をかけた事実が、1900年から10年の間の税関記録からわかるそうです。この間、装飾品材料として、ヨーロッパからロシアへ約500トンのダチョウの羽が輸入された記録が残っているそうです。ロシア人女性にとって、服の細部、アクセサリーなどの装飾がとても大切にされていた証拠ととらえられています。

ダチョウの羽の扇子
出典:https://vladimirdar.livejournal.com/34227.html

 

これと関連して、ロシアの女性は常に宝石の愛好家であり、大きな消費者でした。本物の真珠、ダイヤモンド、その他宝石類は勿論のこと、模倣品も多く取引されていました。 当時、ロシアでは膨大な数の宝石商が働いており取引をしていました。ワルシャワ、リガ、ヘルシンキなど、ロシア西側の国境から非常に多くのものが輸入されました。

蝶のブローチ
出典:Rosinka,ru

上の画像は、蜂の形をしたブローチでシルバー、ゴールド、ダイヤモンド、ルビー、真珠、エナメル。ロシア、モスクワで1908-1917の間に作られたものです。

ロシアでも、他のヨーロッパと同様に、この時代にアールヌーボースタイルが流行しだしました。宝石のデザイナーがその流行にのらないわけがありません。アールヌーボー芸術の特徴的な配色、つまり緑や青みのかかったグレーの色調に宝石類も影響されていきます。当時のロシアの、宝石細工は、他のヨーロッパ諸国に比べても非常に発達していたと考えられています。金とプラチナで作られた非常に高価な個々の作品、そして銀で作られたより控えめな消費者向けの作品、比較的安価な大量生産品とそれぞれのジャンルの宝石が売られていました。銀細工は気取らない、庶民的な宝石とみなされ、気軽に身に付けられていましたし、金細工は種類が豊富で、色味や組成毎にきちんと区別されて売られていました。また、モチーフとしては具体的なもの、例えば、枝、花、蝶、虫、クモなどが人気でした。特に人気だったのはなんとコウモリでだったんです。

絵画 王の物語
出典:Rosinka.ru

 

そして、モチーフも具体的なものから徐々に幾何学的な模様になり始めていきます。色のついた宝石、例えばアクアマリン、アメジスト、アレキサンドライトも伝統的に愛されてきたものです。輸入品だけではなく、ロシアのウラル山脈から採取される宝石も市中に出回っていました。

世界的に有名な宝石商カール・ファベルジュの設立は19世紀半ばのサンクトペテルブルグにおいてです。特に宝石を豊富にあしらった、皇族向けのイースターの卵を作成したのをきっかけに、ファベルジュブランドが確立しました。ファベルジュが特に評価される点として輸入品と国産品の両方の宝石を利用して、卵というロシア独特のテーマを確立したという点にあります。

カール・ファベルジュ社
出典:Rosinka.ru

 

ロシア製のシーツ

ロシアは繊維を輸入ばかりしていたわけではありません。殊に1900年からの10年間、ロシアはアジア諸国への繊維の最大の供給国でした。ロシアのシーツは、オスマン帝国(トルコ)、イラン、中国に販売されました。全世界は、ロシアのトレフゴルナヤ工場、プロホロフスキー工場、ジンデル工場などの織物が有名だった時期です。さすがに日本まではその名声は届いていませんでした。しかし、当時これらのメーカーのプリント生地は、輸出と国内市場の両方で販売されていました。そして、ヌーボースタイルの、アイリス、ポピー、パンジー、ローズヒップなどのプリントが人気のあった製品でした。

帽子について

1900年ごろ、ロシアやヨーロッパの都市では、女性が帽子やプラトック、ショールなしで外出することはまずありませんでした。。帽子は、当時のロシア、ヨーロッパのおしゃれを気にする人の最も大切なアクササリーだったんですね。とくに、きれいな鳥の羽はお気に入りの帽子の装飾でした。先述したように、それらは非常に大量に輸入されました。鳥のイメージはふわりと宙を舞う、無重力の雰囲気を出そうとしたもので、帽子の上の羽が空へ飛び立つ準備ができているように見えるよう装飾されるべきものだったのです。そういう具体的な意味があったとはブログ筆者は少し驚きました。

鳥の羽の帽子
出典:https://club.osinka.ru/topic-180010?start=0

1900年代の終わり シルクと鳥の羽で縁取られた広いフェルトの帽子

飾りの羽の種類ですが、当時はダチョウ、サギ、極楽鳥のものが高く評価されたとい言います。そのような羽の装飾が施された帽子は当然非常に高価であり、誰もが買う余裕があるものではなかったため、そこらへんで採れるカモメ、ワシ、ヤマウズラの羽も使用されていました。

極楽鳥
出典:https://www.pinterest.jp/pin/844284261369823990/

ヤマウズラ
出典:https://pixabay.com/ja/photos/%E9%B3%A5-%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%82%A6%E3%82%BA%E3%83%A9-%E7%BE%BD%E6%AF%9B-%E9%B3%A5%E3%81%AE%E7%BE%BD-3821978/

 

首都と地方の都市の帽子工房の数は数えられません-それらの非常に多くがありました。それらのいくつかは特に著名で、ロシア全体で有名でした。例えば、モスクワのペトロフカにある帽子工房「ヴァンドラグ」などがブランドだったそうです。画像は見つけられませんでした。

 

マーケット

さてところで、帽子や靴、もちろん主役の服をロシアで安く手に入れようと持ったらどこのいけばよいでしょうか。1つの方法は、マーケットで手で購入することです。筆者もロシアに行く際はどの町でも、最低半日はマーケットへ行き、冷やかして歩きます。残念ながら、どんな街でもこの10年間でそのようなマーケットがたたまれ、近くに大資本のモールに変わりつつあります。あの迷路のような、おどろおどろしいたたづまいと、値引きのための交渉がとても楽しかったんですが。

ロシア、ウラル地方の市場

ところで、1900年当時モスクワで最も人気のあるマーケットの 1つは、スハレフスキー市場というところで、ここはフリーマーケットもかねているため、裕福な家からの中古品が多く運ばれる市場でした。

スハレフスキー市場
出典:https://club.osinka.ru/topic-180010?start=0

20世紀の初めのはがきからスハレフスキー市場とスハレフタワーの眺め。

 

さていかがでしたでしょうか、今回はここまでです。次回は傘や扇子などのアクセサリーなどから始めたいと思います。

参考文献およびウェブサイト(すべてロシア語です)

http://lamanova.com/16_competitors.html
https://russian7.ru/post/kak-poyavilas-kosovorotka-u-russkikh/
https://vrns.ru/analytics/1394

https://club.osinka.ru/topic-180010?start=15
・R.V.サハルジェフスカヤ「衣装の «歴史:古代から近代へ
・カミンスキーN.M.「コスチュームの歴史」
・Далю(ダーリョ)「Толковый словарь живого великорусского языка」

 

 

 

 

 

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