ロシア民族衣装のお店キリコシナ
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ロシアファッションヒストリー12

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エカテリーナ2世  日記の記述に相当する画像ではありませんが 出典:https://runivers.ru/gal/today.php?ID=585147
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ルパシカやサラファン等、ロシアファッション及びそのヒストリーに関するブログです。ロシアのファッションの歴史の中で、ロシア歴代皇帝の命令による変革がたびたびあったことは前号までの何回かのブログで紹介いたしました。

ロシア ファッション ヒストリー ルパシカ 11

 

ロシアの貴族における伝統衣装

17世紀のピョートル大帝の発布した法規制は、「ロシア的なものの廃止」が主目的でしたので、しばらくの間、貴族の間のサラファンは忘れ去られました 。そしてその後、エカテリーナ2世が、サラファンを含むあらゆるロシア的なものへの回帰を指示し、国家の尊厳、誇りというものを育もうとしました。

エカテリーナ2世がロシアを支配し始めたとき、彼女はロシアのドレスを積極的に着始め、宮殿における女性のファッションの模範を示しました。当時サンクトペテルブルグの宮殿を訪れた英国貴族の日記にこう記されています。

「彼女はレセプションに、ロシアの服装で登場した。頭には星形に配置したダイアモンドの王冠を載せ、胸にも星形のブローチ、薄緑色の絹のサラファンをお召しになっていた。」

エカテリーナ2世 
日記の記述に相当する画像ではありませんが
出典:https://runivers.ru/gal/today.php?ID=585147

特にエカテリーナ2世の時代、18世紀におけるロシアの貴族や兵隊、およびトルコやポーランド、コサック兵の衣装に関しては、ロシアのテレビドラマ、「エカテリーナⅡ」をご覧になると参考になります。日本のNHK大河ドラマのようなものですが、衣装や建物が豪華なせいか、もっと予算がかけられているように見えます。ファッション考証もしっかりしています。

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農民の間で残ったロシアの衣装

では貴族や地主とは無関係に、ロシアの市井の人々に連綿と継承された衣装を見ていきましょうあ。最初に一般市民、農民のパネヴァ(巻きスカート、長いブラウスの上にはく)をお見せします。

農民のパネヴァ
出典:https://www.culture.ru/

農民のパネヴァ2
出典:https://www.culture.ru/

カレリナコレクションより
出典:https://www.culture.ru/

パネヴァ は既婚女性が必ず持っていなければならないものでした。原則として、その長さは女性のブラウスの長さに依存しており、端は主に刺繍で処理され、飾られました。

次はウエストにまかれたウールのベルトです。これをガシュニクといいます。さらにその上に通常エプロンを着用していました。結婚したのち、このガシュニックを腰にまく儀式があったと言われています。いわゆる結婚式とは別の、周囲に既婚であることを言い伝える儀式だったようです。

ガシュニック
出典:https://www.culture.ru/

 

スラブ伝統柄のガシュニック
出典:https://www.culture.ru/

 

ガシュニックと織り機
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ロシアでは、女性のブラウスは常にガシュニックつまりベルト付きであり、地方によっては生まれたばかりの女の子にもこれを巻く儀式があったことがわかっています。ガシュニックで作った円が魔法の力を持ち、魔法の円は悪霊から人を守ると信じられていたからです。そのため風呂に入るときでさえ、ガシュニックのみは身に着けるのが一般的だったと言われています。

ではパネヴァやブラウスの上に付けるエプロンのいくつかも見てみましょう。

エプロン カレリナコレクションより
出典:https://www.culture.ru/

19世紀後半のエプロン 都市部の女性が身に着けていたバージョン
出典https://www.culture.ru/

モスクワ州の女性のファッション
出典:https://www.culture.ru/

エプロンと言うと、シンプルで、洗濯の容易なものを私たち日本人は想像しますが、機能重視というよりは外観性重視ですね。パネヴァやブラウスを汚れから守るという機能は考えられていないようですね。

次に頭の飾りを見てみましょう。

髪飾り カレリナコレクション1
出典:https://www.culture.ru/

髪飾り カレリナコレクション2
出典:https://www.culture.ru/

髪飾り カレリナコレクション3
出典:https://www.culture.ru/

頭飾りは年齢と婚姻状況により異なっています。結婚前の乙女の髪飾りは髪の一部が露出されるようになっており、リボンや、細い包帯のような綿の布、スカーフなどで頭をかくしていました。

既婚女性は髪の毛を見せてはならず、外出をするときにキッシュ(上の画像の女性がかぶっている帽子)やココシュニクを身に着け、家では髪にスカーフを巻いていることが一般的でした。

 

それでは次に、色をテーマに見ていきましょう。

ロシアの国民色と言ったら赤ですね、ソ連時代は勿論、それ以前あるいは現在のロシアでも赤は重要な色です。そして、民族衣装においても豊富な赤の使われ方がなされてきました。

赤いサラファン カレリナコレクション
出典:https://www.culture.ru/

赤いパネヴァとサラファン
出典:https://www.culture.ru/

赤を基調としたロシア リャザン地方の衣装
出典:https://www.culture.ru/

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上記3つの画像で使われている赤は、ロシアの民族衣装を目にするときよく登場する赤ですね。赤色は、貴族にも農民にも好まれた色でした。「火と太陽」つまり、「力と豊穣」の象徴ととらえられていました。ロシアの伝統的な衣装では赤を最大33種まで分類して使われていたことがわかっています。例えばそれぞれの赤は、「肉」「芋虫」「深紅」「真紅」「血まみれ」「黒」などと呼ばれて区別されていました。

今回はこれで終わりです。いかがでしたでしょうか。

まだまだロシアファッションの話は続きます。ロシアファッションヒストリー13 セルゲイコレクション

 

参考文献およびウェブサイト(すべてロシア語です):
https://russian7.ru/post/kak-poyavilas-kosovorotka-u-russkikh/
https://vrns.ru/analytics/1394
・R.V.サハルジェフスカヤ「衣装の «歴史:古代から近代へ」
・カミンスキーN.M.「コスチュームの歴史」
・Далю(ダーリョ)「Толковый словарь живого великорусского языка」
https://www.culture.ru/

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