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ロシアファッションヒストリー9

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出典:Wikicommons
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ロシア ファッション ヒストリー ルパシカ 8

過去、8回にわたって、ロシアにおけるファッションの歴史を、当時の政治、経済状況を織り交ぜながら紹介してきました。

今回はいわゆる近代、1900年後半の有名デザイナーとロシアファッションのかかわりをご説明したいと思います。

ロシアの皇帝が、市民および貴族のファッションに神経をとがらせていた事実を、ピョートル大帝やエカテリーナ2世の例を挙げて前回までにお示ししてきました。これは18世紀、1700年代の話でした。この2人の皇帝のロシア帝国における存在感があまりにも大きいので、ファッション関係の資料のみならず、種々の分野の資料からもこうした事実を認識することができます。

ところが、ピョートル大帝以前にも、ファッションに対する法規制を実施した皇帝がいました。 アレクセイ・ミハイロヴィチいわゆるモスクワ大公と呼ばれた人ですが、 1629年3月29日 に誕生、- 1676年2月8日 に亡くなっています。その皇帝としての在位期間1645年から1676年の間、亡くなる直前の、1675年8月6日に以下の命令を下します。

アレクセイ・ミハイロヴィッチ
出典:wikipedia

「貴族、弁護士、モスクワの住民およびその召使に外国スタイルの服を着ることを禁じる。」

というものです。 これは当時、ポーランドのロシアファッションへの浸透が激しくなりつつある状況下、ロシア国民のアイデンティティを保護するために出された命令です。

そして、その後、1699年、ピョートル大帝は反対方向に急旋回し、貴族のための髭の強制剃毛に加えて、ロシアの民俗服の着用が、農民と聖職者を除くすべての人に対して公式に禁じらたのです。

またさらにその後、エカテリーナ2世が、またまたロシアのファッションを伝統衣装に戻しました。 象徴的なのは、ロシア伝統の髪飾り、ココシュニックが伝統儀式に必要な飾りとして復活したことです。

出典:ロシア通販サイト
https://www.tizgroup.ru/shop/golovnye_ubory1/kokoshniki/zolotoj_devichij_golovnoj_ubor_koruna_kokoshnik/

出典:ロシア通販サイト
https://www.vkostume.ru/item/belyj_kokoshnik_fantaziya/

出典:http://www.womenmagazine.ru/s.php/99983613.htm

 

エカテリーナ2世依頼、ココシュニックの伝統は途絶えることなく、今日まで存在しています。スターウォーズでの銀河の女王の衣装のプロトタイプは、ロシア王朝の1903年のスタイルがもとになっているということはよく知られている話です。ハリウッド映画の場面はなかなか使えませんが、ロシアの古い写真はフリーに使えるものが多いので上げておきます。当時の貴族の女性は皆さんココシュニックをかぶっていたんですね。

1903年のロシア ロマノフ王朝1
出典:https://bigpicture.ru/?p=885370

1903年のロシア・ロマノフ王朝2
出典:https://bigpicture.ru/?p=885370

 

以下はロシアのジャーナリスト、アンドレイ・ポールボイが記述した、「現代の有名デザイナーのロシアファッションを取り入れた例」を挙げていきます。彼の説明は文章だけでしたので、よくわかりやすくするよう頑張って画像をさがしてきました。

ココ・シャネル

1911年にデザイナー、ポール・ポワレはスラブをモチーフにしたヨーロッパのファッションの最初のコレクションを作りました。 金の刺繍が施されたドレス、花柄のプリントが施されたコート、シベリアの毛皮の帽子などがコレクションされていました。その後、ポールポワレおよびポール・キャレットは、すでに述べたココシュニク、ドレス、斜めの留め金が付いたストレートカットのブラウスなどをヨーロッパに紹介しましたが、これらにはロシアの民俗的な飾りが刺繍されていました。これにヒントを得て、ココ・シャネルが、刺繍された襟とベルトが付いたドレスシャツを思いつきました。

出典:https://www.speed-kaitori.jp/brand/chanel/chanel-category/chanelyouhukukaitori/

 

イヴ・サンローラン

戦後は、イヴ・サンローランがロシアのファッションに興味を持ちました。そして大ヒットしたサンローランのコレクションが「ロシアンバレエ」(1976/1977年秋冬)で、ボヤールスカート、プリントスカーフ、シープスキンベスト、プリントコート、白いニットのドレスがコレクションのアイテムでした。 当時の新聞によると、「イヴ・サンローランがこのコレクションで世界のファッションを永遠に変えた」とまで言わしめたそうです

https://www.youtube.com/watch?v=FfsnSfFmObc

 

Kenzo

Kenzoにも、ロシア風ショールを取り入れた作品があり、世界のデザイナーに影響を与えたという点で、ロシアの民族衣装はインスピレーションの安定した供給元であると、アンドレイ・ポールボイは記しています。

Kenzo Collection
出典:https://www.vogue.com/fashion-shows/fall-2009-ready-to-wear/kenzo/slideshow/collection#4

Kenzo Collection
出典:https://www.vogue.com/fashion-shows/fall-2009-ready-to-wear/kenzo/slideshow/collection#4

Kenzo Collection
出典:https://www.vogue.com/fashion-shows/fall-2009-ready-to-wear/kenzo/slideshow/collection#4

さて、アンドレイ・ポールボイ氏のバックグラウンドが検索してもなかなか出てこないのですが、地域ごとに育まれたファッションの伝統が、いかに現代のユニバーサルなファッションに浸透していくかの知見について書いているものが多いですね。その主張はとても共感できるものです。

内のロシア人嫁も、ルパシカや、サラファンを作るときに、形や装飾を決める時に、伝統の意味を考えさらに「着心地、着心地」と言っているので、ロシア人デザイナーの有する共通のポリシーなのかも知れませんね。

次回はこの点についてさらに話を深めましょう。ロシアファッションヒストリー10

 

参考文献およびウェブサイト(すべてロシア語です):
https://russian7.ru/post/kak-poyavilas-kosovorotka-u-russkikh/
https://vrns.ru/analytics/1394
・R.V.サハルジェフスカヤ「衣装の «歴史:古代から近代へ
・カミンスキーN.M.「コスチュームの歴史」
・Далю(ダーリョ)「Толковый словарь живого великорусского языка」

・https://vrns.ru/analytics/1394

・https://www.vogue.com/fashion-shows/fall-2009-ready-to-wear/kenzo/slideshow/collection#4

 

 

 

 

 

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