ロシア民族衣装のお店キリコシナ
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ロシアファッションヒストリー8

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ロシアファッションに関するブログです。前回から引き続き、もう少し、ロシアの革命後、1920年から1930年のファッションの動きを見ていきましょう。

ロシア ファッション ヒストリー ルパシカ 7

1920年代と1930年代のロシアの代表的な文学作品を見ると、A.ベジメンスキーの「ショット」、V.キルションの「レールズ・バズ」、A.ファイコの「ポートフォリオを持つ男」、M・ソシェンコのいくつかの小説がリストアップできますが、その中でも、異彩を放つのがマヤコフスキーでしょう。その作品「ミステリー・バフ」「クロップ」「バーニャ」は今でも重要性を失っていません。グロテスクな漫画とともに、時代背景の特徴付けが鋭いため、これらの作品は、同じ風刺的な方法で衣装のスケッチをする現代アーティストも参考にしています。当時のファッションそのものは、今見ると本当に奇妙なものですが、マヤコフスキーの文学や絵画から似顔絵、写真、映画のドキュメントまで、それらはとても興味深いものです。

1920年代ロシアのファッションに対する風刺画
出典:・R.V.サハルジェフスカヤ「衣装の歴史:古代から近代へ」

コメディ「クロップ」を発表した当時、マヤコフスキーは「美しい人生を与える」と題した一連の公演を開催しました。この講演でのメッセージで、外国のファッションがソ連の生活に醜い流れを浸透させ、ソ連の若者のイデオロギー基盤を浸していることを指摘しました。

そうした海外からのファッションへの批判があるにもかかわらず、1926年と1927年には、ヨーロッパ的な街中の若い女性の間では、広い袖、ヒップの強調、非常に狭く絞った長い透明なブラウスが流行しました。サテンなどで作られたイブニングドレスには、深い切り抜き、刺繍ウール、アップリケ、スカーフ、人工真珠が飾られた派手なものがみられるようになり、(下図)。光沢のあるストッキングとシャープなつま先の靴も流行しました。

出典:・R.V.サハルジェフスカヤ「衣装の歴史:古代から近代へ」

一方、働く若者たちは禁欲的にシンプルな衣装に身を包んでいました。女の子の間では薄い生地の白いブラウスでと短いスカートや、襟付きの白黒、赤黒などの長袖のストライプシャツがはやり、仕事、学校、散歩などあらゆる場面に着ていました。1927から1932年の間、このストライプのシャツは、 仕事やスポーツのの若者の制服といってもいいくらいでした。画家サモワロフ、デイネキ、ピメノフ、クズネツォフ、ヨハンソン、カツマンらの絵画をみるとこうしたことがよくわかります。

この時代の女の子の髪は、非常にシンプルで、あまりヘアスタイルを気にしていなかったようです。また足元は、夏季はシンプルなストッキングまたはソックスと革靴でした。青い靴は、すべての女の子の間で大流行し、1927年にそれらは最も大量生産された靴になりました。主に赤色のスカーフ(プラトック)が 髪の後ろに結ばれ、頭を覆っていました。

1920年代、ソ連で流行した婦人靴
出典:https://kosmetista.ru/blog/79830.html

 

1925-1928年、町で特に短くてまっすぐなドレスが流行していた時、村の女性はフリルの広がったスカート、綿かベルベットの高いスタンド襟と短い狭いシャツのままでした。

 

この時代の男性ファッション

まずはマヤコフスキー原作のロシア映画「Klop」で登場する衣装を1枚ピックアップしてみましょう。警察官の衣装です。1925年から1927年には、警察官の制服は、英国の警察官を模したものであり、ヘルメットに似た帽子を頭にのせていました。

1927年当時のロシアの警察官

 

次にトルストイ。

すでに世界的に有名だった作家レオ・トルストイは、冬と夏にキャンバスでできたルパシカを着ていました。これをまねてロシアの教養人たちは、夏に、似たようなルパシカを着用し始めました。トルストイが死亡しても、このルパシカは20世紀の40年代まで流行として頑と存在していました。革命の前に、そのような単純な服の着用は、トルストイの理想、民主主義、連帯の特定の現れと考えたられ、そのことを名誉あることと考えられていたのです。革命後、これらのスタイルのルパシカを労働者が着用するようになり、冬には古い布のコートや安価な厚布から作られ、夏にはキャンバスや帆布で作られようになりました。高齢者、教師、医師、会計士などが好んできていました。

トルストイ
出典:russia-ex.com

トルストイの肖像画
出典:russia-ex.com

別の形態のファッションも残っていましす。例えば、それはフランスの軍事介入以来のものです。4つの蓋つきポケットがついていて、側面にフレア、腰にはベルト、という形で30年代まで典型的な衣服でした。

またある男性はよくコーカサスのベルトをつけたコサックシャツを着ていました。このシャツは、高い襟、グレーまたは黒の配色一般的で、冬用の風を通さない緻密な生地で作られました。

コサックの装い1
出典:https://ppt4web.ru/mkhk/odezhda-kubanskikh-kazakov.html

コサックの装い2
出典:https://ppt4web.ru/mkhk/odezhda-kubanskikh-kazakov.html

先ほど登場した戯曲「クロップ」にはこれら1920,30年代の特徴的なファッションを見ることができるのですが、これらのほとんどが当時いわゆる流行ではなかったので、当時の数少ないファッション雑誌では、これらの形態を見つけることがでず、なかなか画像で紹介しづらいのが残念です。

1929年から1930年には、高校生や労働者の若者たちが、オーストリアの革命青年をまね、いわゆるユングストゥルムという制服を着ていました。どうらや今のボーイスカウトに似ているものらしいです。これは、胸に2つポケットのあるカーキシャツで、女の子のためには青いスカートにカーキシャツが組み合わされ、ウエストに広いベルトがあります。

 

さて、これまで述べてきたように、ファッションそのものは、都会と田舎の差はあったものの、ヨーロッパからの派手なファッションの流入とそれに対する批判、つまり謙虚さとシンプルさを主張した2つのトレンドが交錯するものでした。一方急進的な流れとして、古いブルジョワファッションを一掃し、「ブルジョワ」の花や花束を放棄、生地の平面を図面の背景に変え、明らかにソ連社会主義のイデオロギーを強調するものも根強く存在しました。

革命直後は政治的な意味もあり、このようなもの、具体的には、ロシア伝統の幾何学模様に合わせて、生産にかかわるトラック、トラクター、電気ランプ、機関車、仕事のプロセス、農村地域の労働のシーンなどを配置した生地などがソ連に出回り受け入れられました。

ソ連共産党にも酷評された記事の図柄
出典:R.V.サハルジェフスカヤ「衣装の歴史:古代から近代へ」

 

しかし前の記事で示したように、このような悪趣味は、市民のみならずソ連共産党からも批判され、排除されることになったのです。そうして、いわゆるロシア的なものへの回帰という自然の流れが生まれることになります。お話はまだ続きます。

ロシアファッションヒストリー9

 

 

参考文献およびウェブサイト(すべてロシア語です):
https://russian7.ru/post/kak-poyavilas-kosovorotka-u-russkikh/
https://vrns.ru/analytics/1394
・R.V.サハルジェフスカヤ「衣装の «歴史:古代から近代へ
・カミンスキーN.M.「コスチュームの歴史」
・Далю(ダーリョ)「Толковый словарь живого великорусского языка」

 

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