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ロシアファッションヒストリー12

ロシアにおける女性のファッションを、バリエーション豊かな民族衣装から紹介しています。今回はシリーズの12回目ですが、サラファン以外の、スカートや、エプロン、ベルト、頭飾りなどを画像を添えて紹介しました。ロシアの国民色である赤が、ソ連という政治体制ができる以前からこの国、および地方で、大切にされ人々の生活に浸透していました。
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ロシアファッションヒストリー11

ロシアの民族衣装サラファンをご存じでしょうか。このブログでは、サラファンの歴史、地方色豊かなサラファンの数々、また昔のサラファンを復刻した画家・デザイナーのカレニナのコレクションを紹介いたします。その色彩豊かで、伝統色の強い、そして今でも時代遅れではないサラファンをぜひご覧になってください。
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ロシアファッションヒストリー10

ロシア・スラブファッションはその気候や、自然の素材がとりわけ多く使われているところから、いわば特殊な部類に入ります。よって、過去及び現在でも、国や政府などの誘導による、民族衣装の定着は成功しませんでした。ただし、民族衣装のシンプルかつ、魅力的な要素は、国や文化をまたいでブームを巻き起こす可能性を有しています。
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ロシアファッションヒストリー9

ロシアファッションの歴史を見ると、歴代皇帝の時刻ファッションへの関与がみられました。こうした関与も、現実的には一般市民へのロシア的ファッションへの愛情、執着に変化していき、そのようなロシア的なものを愛する力が、やがては世界的に活躍するデザイナーたちの、ロシアファッションへの興味と憧れにつながっていきました。
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ロシアファッションヒストリー8

ロシア革命直後のファッションは、当時の行き過ぎたイデオロギーの影響を受け、必ずしも大衆や施政者たちに受け入れられていたとは言えません。革命後しばらくたったのち、これまでロシアのファッション界に何度か訪れてきたロシア回帰がもう一度やってくることになりますが、その間の変遷も興味深いものでした。
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ロシアファッションヒストリー7

ロシア革命後、ソ連時代のファッション(ルパシカ、サラファンなど)の歴史です。ソ連時代、共産党の主導でソ連のファッションにもいろいろ変遷がありました。政治に翻弄されながらも、デザイナーと市民がファッションに対し真面目に関わってきた、ロシア人の誠実さが感じられます。
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ロシアファッションヒストリー6

ロシア革命後、ソ連社会主義となったこの国は、ファッションにおいても大きな改革が施されました。ヨーロッパ的な、派手さを敬遠し、素朴ながら機能美を持ったデザインが追及されました。また古代ロシアの装飾も保存されたこと、この時期にルパシカのデザインが普及したことなどがわかります。
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ロシアファッションヒストリー5

18世紀ロシアでは大きなファッション(ルパシカやサラファンなど)の変革がありました。ヨーロッパからのファッションの流入に対し、これを推進したピョートル、これを排除しようとしたエカテリーナ2世、歴史の裏側でファッションの歴史も息づいていました。
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ロシアファッションヒストリー4

ロシアのファッション(ルパシカやサラファンなど)の歴史においてピョートル大帝の果たした役割は大きいです。このブログではピョートル大帝の作った法律、さらにその後エカテリーナ2世の作った法律などを通して進んだ、ロシアファッションの推移、変革のヒストリーを見ていきましょう。
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ロシアファッションヒストリー3

ルパシカ(コソボロートカ、ルバハ)には襟のところに左側の切れ込みがあるロシアタイプと切れ込みが中央のウクライナタイプがあります。この違いがいつうまれ、なぜロシアタイプとして左側の切れ込みが普及したのか、ファッション研究者たちの起源や歴史検証の成果をお伝えします。ルパシカの着心地がいい理由がわかります。