ロシアファッションブログです。前回に引き続き19世紀ロシア文学作品の品に登場するコスチュームを解説していきます。ゴーゴリ編の2回目です。
感情的および心理的な表現としてのコスチューム
ヒーローの状態
N. V. Gogolの作品についてもう一度見てみます。彼の作品のヒーローのイメージを明らかにする上での衣装の役割を分析してみましょう。
ロシアの評論家V.V.ナボコフが言ったように、N.V.ゴーゴリの著作には常に「生きている人以上の役割を果たすことを求められている対象」があります。この考えを発展させると、ゴーゴリの作品中のヒーローの衣装についても同じことが言えます。
「死せる魂」の第2巻からの抜粋を見てみましょう。これは、チーチコフの全体像により近づくのに役立ちます。
N.ゴーゴリの「死せる魂」から、訳書は日本ブック・クラブ、ロシア文学全集、第4巻、中村融訳 です。
第2部、終章、307、308ページ:
「わかりましてございます。旦那様のお望みなのは、ちょうど只今ペテルブルグで流行のあの色けでございますね。あれならそれこそ極上の生地が手前どもにございます。ただお値段の方はお高くなりますが、その代わりお品は高級でございますから。」
ヨーロッパ人は生地の山へ這い登っていった。一反の生地がどさりと落ちて来た。彼はとたんに、自分が近代人であることも打ち忘れて、昔風の手つきでそれを拡げると、わざわざ店の外まで持ち出して陽なたにさらして、「申し分のない色合いでございましょう!ナヴァリノ風の煙色に炎色のまじった生地でございますね。」と言って、陽の色に眼をしばたたきながら、それを彼に見せた。
さて、この段落に登場したナヴァリノ風の煙色に炎色の混じった色は、日本人の読者は言うに及ばず、現代のロシア人でも理解できないでしょう。というのもこの色は、当時のロシアの定期刊行物で宣伝されている流行色のリストから借用されてているものだからです。
「ナヴァリノ」色の出現の背景は、1927年のナヴァリノ湾(ギリシャ南部)におけるロシア-アングロ-フランス艦隊のトルコ艦隊との戦いでした。「ナヴァリン」色の最初の言及は、1928年の「モスクワ電信」に登場しました。この色は濃い赤褐色だったそうです。
V.ボツヤノフスキーという評論家が、ゴーゴリの使用するの色の解釈を分析しています。
チーチコフは実際にはその詩の中で登場人物が詳細に語られている唯一の人物ですが、同時に彼の衣装は特定の特徴がないと言っています。
チーチコフに対して提案された「ナヴァリノ風の煙色に炎色の混じった色」の色の比喩的な意味も「彼が年を取っているとは言えず、若すぎるのではない」、「ハンサムではないけれども、見た目が悪くないというわけでもない」、「厚すぎず、薄すぎない」を暗示していると分析しています。
社会的地位とコスチューム
ゴーゴリはさらに、純粋に文学的に登場人物の衣装を彼の社会的地位を決定する手段として使用しています。
訳書は岩波文庫「狂人日記」他二編、横田瑞穂訳から、
「ネフスキイ大通り」、15ページ
4時からはネフスキイ大通りはがらんとして、もうほとんど一人の官吏にも出会わないようになる。店から出てきたどこかの女裁縫師がネフスキイ大通りを小箱を抱えて駆けぬけてく。博愛心に富んだ裁判所書記の食いものにされ、粗末な毛織の外套姿の、落ちぶれた、どこかの気の毒な女、時間にはお構いなしの、風変わりなどこかの渡り者、ハンドバックや小さな本を持った、指のひょろ長い、のっぽのイギリス女、ある同業組合員、つまり背にバックベルトをつけたデミコトン、フロックコートを着こみ、小さな顎ひげを生やし、生涯大急ぎな生き方をし、舗道をすまして歩くときには、背中といわず、手といわず、足といわず、体じゅうを小刻みに動かしているロシヤ人、またときには背の低い職人、この時期のネフスキイ大通りでは、これらの者以外だれにも出会わないであろう。
以上の節における、「毛織の外套」と、「デミコトン、フロックコート」にマーカーを入れておきました。
「毛織の外套」は原文ではфризовая шинельで「フリーズのオーバーコート」が直訳になります。これは、少しカールしたパイルが付いた起毛ウール生地で、最も安価なタイプの布の1つです。主に低所得都市環境で使用されるものです。訳書は完全に意訳しており、「粗末な」という形容詞をつけてくれています。したがって、「フリーズのオーバーコート」という表現は、取るに足らない社会的地位の象徴と見なすことができます
ゴーゴリの作品では、フリーズコートはよく使われるアイテムです。
次に「デミコトン、フロックコート」ですが、岩波文庫の注釈には「19世紀初葉に用いられた厚織の綿布」とあります。さらに説明すれば、非常に密度の高い、綿の2重サテン織りのことです。
さてこれだけの情報ですと、登場人物の背景がなかなか浮かびません。よってもう少し説明を加えますと、このデミコトンは下級官吏や貧しい町民の間で一般的なもので、これはごく下層の社会的地位のシンボルとして当時のロシアで理解されていたものです。
もうひとつ、「背にバックベルトを付けた」という表現も重要な意味を持ちます。背にバックベルトをつけたデミコトンのフロックコートは、一時期流行ったものの、この小説の出版時にはすでに時代遅れになっており、「いかにも古ぼけて時代遅れの」というニュアンスを与える表現です。
以上のように、フリーズオーバーコートとデミコトン フロックコートが貧困の象徴として用いられルと同時に、高価な布で作られた頑丈なオーバーコート、または毛皮の裏地と毛皮の襟が付いたコートを持つことは成功の証となる時代でした。そのため、こうした高価なコートの所有は出世と同義で、つまり役人の夢と考えられていたのです。
参考となる画像がなかなか見当たりませんでしたので1900年初頭のネフスキー通りの画像集を貼っておきます。
さて、ゴーゴリの小説の中のコートについて記述しましたが、そういえばゴーゴリの代表作に「外套」がありましたね。次回はゴーゴリの「外套」も加えて、作品に登場するコスチュームを取り上げることにいたします。
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