ロシアファッションブログです。前回のロシアファッションブログでは、ウドムルトのお祭りや儀式を通して、その文化の多様性と神秘性について紹介してきました。今回からはブログの本題である、ファッションについて話を進めていきます。ロシアの民族衣装はすべからくそうですが、そのファッション性のみが特徴なのではなく、多神教を根本とした宗教観、呪術的な意味を秘めていることに意味があります。ウドムルトの¥伝統的な衣装の歴史は古く、最初にその特徴が言及されたのは1726年です。
ウドムルトの民族衣装
ウドムルト人の服は、外的な悪い環境や悪辣な力から着る者を保護するという特別な呪術的な意味を持ちます。ウドムルト古来からの衣装の組み合わせは、性別、婚姻状況、年齢、宗教的信念などのさまざまな要因によって決定されます。このようにウドムルトのコスチュームは多様です。
ウドムルトのコスチュームの特徴:
古代ウドムルト人は機織りと刺繍を伝統的、かつ継承するべき家事であると考えていました。昔のこの地方のどの女性も、刺繍、機織りが得意で、家族や自分のための服を作ることができました。ブログ筆者の嫁もウドムルト共和国の出身ですが、彼女はもちろん、彼女の母、祖母とも裁縫が得意で、実家には祖母の時代からのミシンが3台あります。
このように、ウドムルトの人々は常に彼らの服を大事にし、特に儀式や祭り、そして冠婚葬祭のためには特別な衣装を用意しました。ウドムルトの南部と北部の服には、ロシアの他の地域とは異なる、ウドムルト語由来のそれぞれ独自の名前があります。次のロシア語の語の最初の綴り一般的なロシア語の語、2番目がウドムルト特有の呼び名です。
- кафтан – шортдэрем(カフタン-ショートダレム);
ショートダレム
出典:https://www.pinterest.jp/pin/159033430577518268/?nic_v2=1a11vIOFz- штаны – эрезь(パンツ-erez);
- нагрудник – муресазь(ビブ-ムレサズ);
ビブ(胸当て)
出典:https://izhlife.ru/fashion/87728-izhevskie-dizaynery-kak-darali-leli-vozrozhdaet-udmurtskuyu-kulturu-s-pomoschyu-platev.html- платок – укотуг(プラトック-ショートカット);
ウドムルトのプラトック(髪飾り)
出典:http://komanda-k.ru/%D0%A0%D0%BE%D1%81%D1%81%D0%B8%D1%8F/%D1%83%D0%B4%D0%BC%D1%83%D1%80%D1%82%D1%8B-%D1%83%D0%B4%D0%BC%D1%83%D1%80%D1%82%D1%81%D0%BA%D0%B8%D0%B9-%D0%BD%D0%B0%D1%80%D0%BE%D0%B4- рубаха – дэрем(シャツ-derem);
- шуба – пась(ファーコート-グレーズ);
- фартук – азькышет(エプロン-azkyshet);
エプロン様の布がфартук – азькышет
出典:https://videouroki.net/razrabotki/priezientatsiia-narodnyi-kostium-sieviernykh-udmurtov.html- женские чулки – чуглэс(女性用ストッキング-チャグルス);
古代ウドムルトの衣装は、現代のチュニックに非常によく似たスタイルでした。衣服を縫うための素材は手作業で織られました。北部ではリネンを使用し、南部では麻を使用しました。畜産の発展により、ウドムルト人は羊毛を織物の原料として使用することができました。伝統的な南ウドムルトのショートダレムは、手織りのウール生地から縫い合わせたカフタンです。
ウドムルトの民族衣装の色合いは、白、灰色、黄土色、茶色、赤、藍で構成されていました。染料は鉱物や植物から得られ、ウドムルト人はやがて取引を始めたトルコ人によって持ち込まれたアニリン染料を使い始めます。北部地域では、主に白と灰色の2つのオプションしか使用されなかったことは注目に値します。南部では色がより彩りを帯びており、これは南部の方が北部よりもはるかに交易ルートが豊かだったことと関連しています。
トルコからのサテンとシルクの生地の外観を、ウドムルトの縫子が見過ごすことはありませんでしえした。それらから美しいシャツとドレスが縫い付けられました。織り方、縫い方だけでなく、デザインの才能のあった女の子は、まさに当時のファッションデザイナーと言えるでしょう。コスチュームを作成し、特別なラベルである糸の束(チャック)でマークし誰の作品であるかを示しました。他の縫子も衣装をコピーすることができましたが、彼らはそれが誰の発明であるかを示さなければなりませんでした。今でいう意匠登録ですね。それだけファッションが重要であったということでしょう。
また。ウドムルトにおいて子供が一定の年齢になるまで自分の服を持っていなかったことは興味深いです。赤ちゃんの最初の服は、女の子が生まれた場合は母親のシャツ、男の子が生まれた場合は父親のシャツです。ほぼ3歳まで、子供たちは親や祖父母の服を着ていました。必ずしも経済的な理由ではなく、着古して何度も洗った服は新しいものより何倍も柔らかくなっているからだったようです。
男性のコスチューム
ウドムルトのの男性用の服一式はロシア一般にスタイルに似ていました。アンサンブルでは、ベルトを締めた、膝まで届く白い長いストライプのルパシカと、青または白の生地で作られたルーズキャンバスパンツ。もちろんルパシカの襟は刺繍で飾られていました。ベルトには特別な注意が必要です。儀式の際には特徴があり、お守りの役割を果たすものを着用せねばなりません。とにかくウドムルトのベルトは美しく織られていました。また男性が工芸に従事している場合、銅のバックルが付いた厚い生皮ベルトを付けました。その中にナイフと斧を固定するための装置が備えられていました。
冬には、ルパシカの上にカフタンを羽織りました。カフタンは長上衣と訳されますが、長いものでしたが、この衣類のカジュアルバージョンは短くなり、腰までまでのものが一般着として定着しています。
冬に男性が長い旅に出る場合、地面に達するほどの長い、布地化シープスキンのアウターを着ます。
女性のコスチューム
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