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«Работница»「ワーカー」の歴史
雑誌「Worker」の歴史は、新しい雑誌の発行のために組織された4人の女性により、1917年のロシア第2次革命以前の、サンクトペテルブルグにおいて1914年に始まりました。サンクトペテルブルクの工場労働者が拠出した費用で発行されたこの出版物は、当時としては驚異的な発行部数である12,000部が定期的に売れていたそうです。
しかしながら、おそらく当時の警察は貴族による支配だったでしょうから、1914年に7件の内容に関する問題点が指摘され、そのため3つの号が警察によって押収されてしまいます。同時に年内の「Worker」のリリースの中止にまで至りました。その後、1917年の革命後すぐに再登場しました。1917年5月10日のことです。この時は、ソ連の中央委員会の週刊誌として発行されました。
1918年、発行部数は30,000〜43,000部となり、創刊第5号では、レーニンによる記事「公正な平和への道はありますか?」、第7号では「3つの危機」が掲載されましたが、こうした内容は、女性労働者の政治教育において重要な役割を果たし、党の旗の下で女性労働者を結集し、レーニン主義の促進に大きな役割を果たす雑誌になりました。この雑誌は、1917年の革命では、ペトログラード労働者会議の開催と最初の全ロシア労働者会議(こちらは1918年の開催)の準備に参画しました。
ところが再び、1918〜1920年の南北戦争、つまり、内戦の激化により一時的に販売が中止されました。再々発行されたのは、1923年の1月にモスクワでのことです。
ソビエト連邦では、雑誌「Worker」はソビエト女性のイデオロギー的および政治的教育と、国家建設における女性の積極的な参加について多くの貢献をしました。その目的は単に女性の解放のみならず、世界平和のための帝国主義との闘いにおける労働者の国際連帯までふくんでいるものでした。よって、雑誌「Worker」は、1933年「赤い旗勲章」を、1964年「レーニン勲章」を受賞するほど、政治に関与していました。それでも、というべきかそれだから、というべきか、1950年には、雑誌の発行部数が80万部、1974年には1260万部にも達しています。
雑誌「Worker」の表紙には、原則として海外の画像が取り上げられることはなく、純粋にソ連の国の代表的な写真が掲載されています。
1991年のロシア崩壊後に、雑誌はとうとう「非政治化」され、普通の多数の女性出版物の仲間入りを果たしました。
この画面でお見せしたように、「ワーカー」の外観は、数十年にわたって変化してきました。その変遷を見るだけでも、ソ連・ロシアの足跡をたどることができますね。さて、1991年、「ワーカー」の発行部数は2000万部にも達します。
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- 家族生活の心理学、
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さて、最後に「Worker」の最新刊の画像を挙げておきます。
いかがでしたでしょうか?ロシアの女性誌のシリーズはまだ続きます。
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