19世紀ロシア貴族の結婚
出会い:
ロシア貴族の間での若い男女の出会いは、通常地元の名士が自身の宮殿や、お邸で開く夜会、舞踏会などで行われました。トルストイの「戦争と平和」ではこのシーンが何度ともなく出てきます。19世紀の前半、マリア・イワノフナ・リムスカヤ・コルサコワはモスクワで毎晩のように夜会を開いた有名な貴族の女性です。
作家のプーシキンを含め、モスクワ中の貴族が彼女の夜会に参加しました。25000人の農奴を有する当時のロシアでは有数の資産家であるのも関わらず、夜会に費やす散財で借金の多い財政状況であったことも有名です。
そのような夜会が、若い男女(貴族)の唯一知り合う機会でした。女性たちは着飾り、男性は身分に即した制服やありったけの勲章を配した軍服を着てその社会的地位を誇示しました。
当時、宮殿に身に着けていくドレスとしては白いドレスが人気で、白い手袋も必須の付属品であり、手袋なしで挨拶のための手の甲への接吻を受けることは下品だと考えられていました。また、扇子も携帯が必須で、ダンスの誘いをする男性に対して、Yes、 No をはっきり口にすることはモラルに反することだったので、扇子を用いて、その女性の気持ちがPositive(センスを開く) か Negative(閉じる) かを表しました。
プロポーズ
舞踏会や夜会で男女が知り合うと、通常は男性が女性に直接プロポーズをする機会が無いために、男性は贈り物を持って女性の屋敷に赴きます。贈り物の多くは宝石の入った箱でした。金のブレスレット、イヤリング、髪飾りなど高価なものを入れ、男性の社会的ステータスと財産を示すために最善を尽くしました。
画像:ブレスレット:19世紀の最後の四半期-20世紀の初め、金、石英(州立歴史博物館)リング:20世紀の初め、金、エメラルド、ダイヤモンド、ダイヤモンド(州立歴史博物館)イヤリング:20世紀初頭、金、ダイヤモンド、真珠(州立歴史博物館)
さてプロポーズが相手の女性あるいは家族によって認められると、次には女性の両親による祝福の宴が重要なイベントになります。新郎は、新婦の友人や親せきとともにこのイベントに招待され、僧侶によって祝福を受けました。
持参金制度
ロシア貴族の結婚の儀式の中で、最も興味深いのはその持参金制度です。日本の結納金の逆バージョンで、新婦が新郎へ持参するものです。ほぼ契約のようなもので、婚約の日に、彼らは花嫁が何を持っているのかを説明する「持参金明細」の文書を描きました。下の画像の例は、毛皮のコート、家具、宝石が記載されていますが、その場合事前に準備された品物が結婚式までに、いくつかの馬車で花婿の家に送られました。
トルストイの「戦争と平和」に出てきますが、登場人物の新郎が新婦の父親に対し、持参金の額を聞き、少ないと言って増額させ、かつ小切手を一部現金にしてくれるよう依頼する行があります。その条件が飲めないなら、婚約を破棄するということまで言ってましたが、ブログ筆者は日本の文化と違っていちいち明確にすること、さらに金額を交渉することに驚きました。
ロシア、1885年4月、持参金明細
結婚式の準備
独身パーティー:
19世紀には、貴族の間でも農民の間でも、独身最後のパーティーが開かれるのが習慣でした。貴族の独身パーティーの前夜は、花嫁とその女友だちは一緒に別荘に行き、そこで、結婚式の歌を歌い、飲んで、食べて、踊って過ごしました。別に、新郎も男の友人を集め、こちらはプライベートな会話をつつましく続けたそうです。
「花嫁のドレス」の版画、19世紀末
新郎のスーツ:
ウェディングドレスは前回取り上げたので、新郎のスーツの方を見てみようと思います。19世紀、男性は結婚式のために黒い燕尾服、白いシャツ、蝶ネクタイを付けるのが一般的でした。燕尾服はすべての場合に受け入れられると考えられていたため、若者が金持ちでなければ、つまり貴族の中でも位が高くなければ、特別な衣装にお金をかけず燕尾服を購入しました。
20世紀の初め、ベスト付きの燕尾服、シルク
結婚式
19世紀の結婚式の当日は、花婿は仲人または花嫁の母や叔母を通して、ティアラ、ベールや結婚指輪などの結婚式のアクセサリー、結婚式のキャンドル、香水などを詰めた「新郎の箱」を花嫁に送りました。贈り物を受け取った花嫁の叔母は、侍女たちと花嫁にティアラや指輪、ベールなどを飾りつけました。
当時のロシアの習慣として、結婚する前に、Брачный обыск、直訳すると「結婚検索」という書類をまとめました。これはロシア正教の教会で結婚する 予定の人々に関する特定の情報を含み、彼らの結婚に障害がないことを証明する書面です。ところで、私はロシア人の嫁と2006年にロシアで結婚しましたが、そのような書類はありませんでした。ザックスという市役所で婚姻を登録しましたし、またロシア正教の洗礼を受けて教会でもセレモニーをしたんですが、貴族ではないせいなのか、時代とともに無くなったのか、とにかく今では必須ではありません。
結婚式の装飾品の数々、ロシア、20世紀の初め
結婚式の晩餐
新郎の邸での結婚式のあと、晩餐の会場は、社会的地位や年齢、性別が考慮された厳格な席順が決められています。そこには、花で飾られたウェディングケーキ、デザートが並びます。
19世紀の結婚式での晩餐のテーブルを忠実に再現した展示会が2018年5月にロシアで催されました。ロシア皇帝での宮殿の結婚式では300以上の品数が提供されていたのですが、展示会では豪華なウエディングケーキやデザートのみが再現され披露されました。その時の画像を挙げました。
いかがでしたでしょうか。花嫁の持参金や独身最後のパーティーなど、日本とは異なる習慣が沢山あるんですね。そういえば、名古屋では花嫁は豪華な家具を一そろい揃えねばならず、3人娘を持つと家が破産するという話を思い出しました。うちの嫁は身一つでロシアからやってきました。
次回は20世紀のロシアの結婚式についてお話を続けます。
http://wedding-fabric.ru/molodozheny/nevesta/svadebnoe-plate/stili/russkii-narodnyi.html(動画)
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