ロシアファッションブログです。ルパシカやサラファンなど、ロシア伝統のファッションを中心テーマとしたブログです。現在ロシアの水着についてのシリーズをお届けしていますが、前回からロシアを離れて、世界における1910年以降、水着の品質や性能、そしてブランドという観点から興味深い歴史をまとめています。今回は1935年以降の出来事です。
水着の歴史、その品質、性能、ブランド(1930年代から1955年まで)
1935 年:ビキニの前身はおむつだった
シンプルで機能的なカジュアルウェアとスポーツウェアで知られるアメリカ人デザイナー、Claire McCurdyは、ビキニの前身となる水着モデルを作成しました。
この水着のデザインはなんと赤ちゃんのあれです。後ろの垂れ下がった部分が、脚の間を通って前に伸び、エプロンのようにベルトの高さで結ばれるもの。この時代の人々はこの水着を「おむつ」と呼んでいました。だってどう見てもおむつですから。
こんな水着も作ってました↓。
「あなたが欲しいものを身に着け、あなたに似合うものを知って、そして流行に従わないこと」というのがクレアの口癖でした。
1936年:ハリウッド映画のためのブランド、Cole再び
ハリウッドのドレッサーだったMargit Fellegiは、カリフォルニアのファッションハウスColeと提携して、映画スター向けの魅力的な水着を制作しはじめました。
多くのスターが、このデザイナーを好んだため、Coleの知名度はさらに高まり、こうしてブランドColeが確立していきました。
1940年:ナイロン生地の発展
この年、British Nylon Spinners社は、Bri-Nylonとブランド名を名付けた独自のナイロンを発売しました。この素材の売り上げは年々増加していき、1960年代初頭にピークに達しました。今ではより高性能、かつ安価な素材がたくさんありますでが、この新素材登場も水着革命の一つでした。
Bri Nylon の下着もあります。
1946年:ビキニの誕生
ファッションデザイナーのルイ・レアールとジャック・ハイムは、最初の上下別々の水着、つまりビキニを発表しました。
彼らが開発したセパレート水着の最初のバージョンは、アメリカ合衆国がビキニ環礁で核実験爆発を行った4日後の1946年7月5日に一般に公開されました。だからこそ、最初は「Atom」と名付けられました。アメリカではポジティブなニュースだったんですね。ところがその後にブランド名「Atom」が「Bikini」に変わります。国際世論を気にしたからでしょうか? いえいえ当時のアメリカはそんなにお人よしではありません。なぜならキャッチコピー全体は「新しいブランド名はビキニです。:核で真っ二つに割りました。」というものでしたから。恐ろしい。
大々的に宣伝はしたものの、ビキニが大衆に本格的に衝撃を与え、そして流行するまでに約10年かかりました。1950年代のビキニの普及で重要な役割を果たしたのは、フランスの女優、そして歌手であるブリジットバルドーだったことはよく知られています。ブログ筆者の年代以上の人にはですけど。
ビキニストーリ-の定説は実際のところ以上述べてきたものですが、実は、2つの部分からなるビキニのような水着は、はるか昔に登場してはいました。この事実は、たとえば、古代ローマの遺跡「ヴィラ・デル・カザーレ」(ヴィラ・ロマーナ・デル・カザーレ、シチリア)の床に描かれた、いわゆる「ビキニ」姿ででボール遊びをしている2人の女の子のモザイク画像からわかります。
1947年:砂時計シルエット
この年クリスチャンディオールは、水着の[砂時計のシルエットの始まり]を示す新しいコレクションを披露しました。
「砂時計のシルエット」とは、すなわち砂時計のように真ん中がくびれている、つまりウエストが細く、くびれを強調するシルエットということです。もちろん、本当にくびれている人はビキニを着ればいいんですけど、くびれてなくてもくびれを強調するというやつですね。
体形分類について、ロシアでは、長方形、洋梨シルエットという分類もあるそうです。説明はいりませんね。こんなことを調べているうちに、ロシアのウェブサイトに体形ごとの水着の選び方を提案しているのをいくつか見つけました。後ほどロシアの水着シリーズに加えようと思います。
1951年:ミスコンで小さいビキニが禁止されることになった時代
この年ミスワールドのコンテストが始まりましたが、ミスワールドとなったのはミス・スウェーデン、 Kerstin “Kicki” Håkanssonでした。彼女の優勝にはクレームがつきました。優勝できたのは単に扇情的なビキニを着ていたからだ、という批判が出たのです。よって翌年からのミス・ワールドコンテストからは、あまりに生地の少ないビキニの使用がしばらく禁止されることになりました。
1951年のミス・ワールドコンテストの動画が見つかりましたので貼っておきました。
確かに彼女のビキニは小さめでしたね。しかし、それだから優勝したというのも言い過ぎですね。とにかく、ビキニが注目される一つの出来事ではありました。
1953:水着の世界に合成ゴム登場
Bob and Bill MeistrellやRobert and Jack O’Neillなどの多くのデザイナーは、水着素材として、新しい素材ネオプレンを使っての試作を始めました。ネオプレンというのは、高価になっていった天然ゴムに変わり、DUPON社が1920年代から開発を始めていた合成ゴム素材です。1950年ごろから水着やWet Suit の素材として注目され始めました。
1955年:欧州でのビキニ人気の確立と米国でのCole再び
英国の女優で「セックスシンボル」のダイアナ・ドースは、ヴェネツィア映画祭に毛皮のビキニで登場しました。このビキニは単なる水着よりも華やかでした。ダイアナ・ドースは「英国のマリリン・モンロー」と称されるセックスシンボルで、彼女によるビキニのインパクトは欧州では非常に大きかったと評価されています。
参考文献およびURL:
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