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ロシアファッションヒストリー57 水着の歴史 素材とブランドから

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前回までの当ブログ、ロシアファッションヒストリーので、ロシアにおける水着の歴史を見てきました。中心がソ連時代の話でしたが、このテーマをまとめているうちに、この水着というテーマのもと、世界で起きたできごとを知りたくなりました。1910年以降、水着の品質や性能、そしてブランドという観点から興味深いストーリーがありますので紹介いたします。

水着の歴史、その品質、性能、ブランド(1910年から1930年代まで)

1910年:体にフィットした水着の誕生

この年代の水着は一般的に下の画像のようなもので、体のラインを見せるものではなく、もっと言うなら泳ぐための機能とかデザインは全くと言って考慮されないものでした。

1910年の水着
出典:http://yofukasi-susume.xxxblog.jp/archives/19245969.html

 

ところが、はじめて体のラインぴったりの水着を着て公衆の面前に出た女性がいます。オーストラリアの水泳選手、女優、ボードビル・スターのアネット・ケラーマン(下の画像)です。面白いことにアネットは、水着姿でで公衆に現れたとして米国ボストンの警察に逮捕されてしまいます。実際、写真に見られるように、当時公開されていたコスチュームは、足も含めてほぼ全身を覆っているものなのにです。体のラインが露になることさえも反道徳的な時代だったのですね。

アネット・ケラーマン

ちなみに、当時18歳のアネットは、初めて泳いでイギリス海峡を横断するという冒険を試みた女性でした。残念ながら横断そのものは失敗でしたが。

この方、映画の方ではもっと大胆な格好をして演じています。

Annette_Kellerman_in_A_Daughter_of_the_Gods
出典:Public Domain

「神々の娘」に出演中のアネット。こっちで捕まったのならわかりますけどね。

 

1913年:世界で初の水着ブランドの誕生

オレゴンにある小さなアメリカの縫製会社の創設者であるジョンA.ゼンバウアーとカール・ジャンセンは、水泳に熱心で、水泳クラブのメンバーとなっていました。

1924当時の Jantzen水着の広告

地元の川で早朝に泳ぐのはかなり寒かったので、彼らは天然ウールで、よく体にフィットする水着を作ることにしました。数年かけていくつかの試行錯誤の後、この水着はシリーズになり、Jantzenというブランドが確立します。こうしては100年以上にわたってつづく有名なブランドが始まったのです。

Jantzen Magazine U-Turn 1960年ごろ

Jantzen 2020 model
出典:https://jantzen.com/

Jantzenの2020年モデルはこれですが、60年前と大きな変わりが無いのでは?

 

1925年:Latex素材の登場

1925年に軽量で体にフィットするタイプのラテックスベースの生地が登場した後、ニットのウール水着はほとんど使用されなくなりました。やはりチクチクしたんでしょうね。ブログ筆者は毛糸が地肌に触るのが耐えられません。くすぐったくなって赤面してしまうほどです。ウールに変わり、たとえば、LastexというファブリックをハリウッドのMabs社が使用し、Matletexと言う素材はカリフォルニアのCole社が使用しました。

コールオブカリフォルニアのLastex製水着。1953雑誌広告

swimsuit-by-Matletex
出典:https://stylestakesproject.wordpress.com/tag/matletex/

この時期、タイトな水着が急速に普及し、3年後には英語の辞書に「maillot」という単語が含まれるようになります。これはワンピースの水着、あるいは体にぴったりとくっついた衣服などを意味します。

1950年代のCole水着広告

 

1928年:Speedo社の誕生

この年オーストラリアの会社 MacRae Knitting Millsは、Speedoに社名を変更し、同じ名前のブランド水着の生産を開始しました。Speedoのロゴは店頭だけでなく、スポーツ雑誌などのメディアや、オリンピックなどの競技場で選手たちが身に着けているのをよく見かけると思います。

Speedo 1946年の広告
出典:https://www.speedo.com/uk/en/heritage.html

現代の広告水着Speedo

 

公式ウェブサイトでSpeedoの歴史を見ることができます。http://www.speedo.com/en/speedo_brand/insidespeedo/history/index.html

 

1930年:

ファッション革命的な出来事がこの時に起こります。それは、イタリア生まれのフランス人女性、Elsa Schiaparelliが、ブラとオープンバックを備えた理想的な日焼け跡ができる水着の特許を取得したことです。

エルザ・スキアパレッリ

ちなみに、この人はフランスのクチュリエとして服にジッパーを始めて使い始めましたし、また当時大変な話題を呼んだ「黒い骸骨のドレス」を発表したのも彼女です。ファッションの女性革命家だったんですね。

skelton-dress
出典:http://secondstreet.ru/blog/istoriya_mody/elsa-schiaparelli-zabytyj-kumir-nevezuchaja-sopernica-shanel-trafik.html

 

Elsa Schiaparelliがデザインした水着

 

さて、今回はここまでです。次回は1930年代から1950年代までの、水着の歴史を見ていきましょう。

参考文献およびURL:

Купальники в СССР и на Западе - сравните сами
Наглядные иллюстрации того, как эволюционировали купальники в СССР, США и Европе и немного о том, как наши девушки старались не уступать западным в пляжной моде...
http://modagid.ru/articles/7096
6 российских брендов купальников и пляжной одежды
Достойное пляжное обмундирование стоит искать не только у зарубежных брендов, но и у локальных дизайнеров. Необычный крой, красивые оттенки есть в коллекциях ше...
​Как Ольга Колкова запустила производство экологичных купальников Frencia
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http://nahshaus.ru/istoriya-kupalnika-1910-1955/

 

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