コソボロートカの首の切れ込みの意味
スラブの民族衣装の基本は常にルパシカでした。ロシアの伝統的なシャツの起源は、ロシア正教の古教義派と古代の異教徒の衣装に由来します。その最初のルパシカの名称は、実はコソボロートカです。コソボロートカの特徴は、首の割れを中央ではなく、右か左に偏って縫製したことです。もしロシアでルパシカと言ったら、このコソボロートカと真ん中に分け目のある両方のタイプを包含します。
スラブ文化を深く研究している歴史家たちの概ねの総意として、コソボロトカの切れ目の意味は、仕事中に胸の十字架が落ちにくくするためでもあったと考えています。
原則として、このような切れ込みは向かって右側、着ている人の左側に移動しました。これはあくまでも原則で、向かって左側にあるものも相当数見つかっています。
資料におけるコソボロートカの最初の言及は15世紀にまでさかのぼります。これらは男性の日常生活で広く使用され、帯やベルトを巻くことが一般的でした。
古代スラヴ時代のロシア語に目を向けると、「シャツ」という意味の言葉はロシア語で«рубаха»、「ルバハ」と発音します。この言葉の語源は«рубъ»,あるいは «рубище, полотно»で、意味は「こする、布」 で「摩擦」にも由来しています。過去このシリーズでルパシカの昔の縫製法を示しましたが、原始的なものは1枚の布をシンプルに切って、特に頭を通す部分は単なる穴でしたから、単なる布という意味の語が「シャツ」の意味に使われることもあったでしょうし、頭を通すときの摩擦が」「シャツ」を意味するようになったとも考えられるわけです。
女性の「«рубаха»「ルバハ」、つまり「ルパシカ」についても興味深い歴史があります。最初のルパシカは下着のようなもので、ドレスやサラファンの下に着用されました。それらのカットは同様にシンプルで、長く作られ、そのような服は «стан»「スタン」と呼ばれていました。
女性用のルパシカは、魔術用、草刈り用、赤ちゃんへの授乳用、儀式用、お祝い用など、さまざまなライフシーンに対応するあらゆる種類のものありました。歴史の観点から見ると、女性用ルパシカの特徴は、特に長袖で、しばしば床に届きました。そでにはひもが取り付けられており、ぶら下がってしまう袖を後ろで結ぶか、袖を折りたたんで固定することもできました。そのような凝ったモデルは、魔術師やあらゆる種類の古いスラヴの儀式を対象としたものでした。
いかがでしたでしょうか。ルパシカの襟の切れ込みや女性用ルパシカに隠れていた「ロシアの霊性」、次回はルパシカやサラファンに用いられる絵柄の意味を探っていきたいと思います。
参考資料
・Ornament_russkoy_narodnoy_vyshivki_Maslova
・Levacheva_T_A _-_ Pomorsky_traditsionny_kostyum
・https://ethnoboho.ru/slavyanskiy/tradicionnyj-slavyanskij-kolorit-voploshhennyj-v-russkoj-narodnoj-rubaxe.html
・Uzory_starinnogo_shitya_v_Rossii_1880g
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