ロシアファッションブログです。シリーズとしてロシア小説における各シーンをモチーフにしたイラストを取り上げています。我々日本人が20世紀初頭のロシア文学を読む際、その小説の時代背景、土地柄などを想像するには困難を極めますが、その際ロシア人が描く、各小説の重要な登場人物やシーンのイラストを参照することで小説の理解をより高めることを期待しています。
今回は、ツルゲーネフの「猟人日記」です。
最初はこの小説の出だしに登場する、馭者と百姓のイラストですが、当時のロシアの時代背景を知るためには欠かせない人物描写です。
「翌日、私たちは茶を飲むとすぐ、またもや猟に出かけた。村を通り抜けながら、ボルトゥイキン氏は、軒の低い百姓家の傍で、馭者に命じて車を停めさせ、よく通る声でカリーヌイと呼んだ。『ただいま、旦那様、ただいま』という声が、背戸の方から聞こえた。『今草履の紐を結んでおりますで』私たちはそろそろ馬車を進めていった。村はずれのところで40ばかりの男が追いついた。痩せて背が高く、小さな頭を後ろに反らしている。これがカリーヌイチなのであった。所々痘痕の見える、色の浅黒い、人の良さそうな彼の顔は一目見ただけで私の気に入った。カリーヌイチは(後で知ったことだけれど)、毎日旦那のお供をして猟に出かけ、獲物袋を持ち歩いたり、時には鉄砲をかついだり、鳥の止まるところを見つけたり、水を汲んできたり、苺を摘み集めたり、掛け小屋を作ったり、馬車の後からついて走ったりした。こういうわけで、ボルトゥイキン氏はこの男がいないと、まるで手も足も出ないのであった。カリーヌイチはごく陽気な、しかもこの上なくおとなしい性質の男で、のべつ小声に鼻歌を歌いながら、呑気そうに四方八方を見回しているのであった。」
「私が初めてボルトゥイキン氏と近づきになった時、彼は早速その日に私を自分の家へ招いて、一晩泊まって行くように勧めた。」『私の家までは、かれこれ5露里もありますので』と彼は言添えた。『歩いて行ったら、なかなか容易なことじゃありません。そこでまずホーリの家に寄ることにしましょう』。『そのホーリというのは何者です?」『私の領地の百姓でして・・・ここからごく近いところにいるんです。』
日暮れ前にちょっとホーリの家に寄ってみた。家の閾際で一人の老人に出会った。頭の禿げた、背の低い、肩幅の広い、肉付きのいい男で、これが主人のホーリであった。私は好奇の念を抱きながら、しばらくこのホーリを見つめていた。彼の顔の造りはソクラテスを連想させた。同じようにでこぼこした高い額、同じように小さな目、同じような獅子っ鼻、私たちは一緒に家の中へ入った。ホーリは床几に腰を下ろし、縮れた額髪を悠然と撫でながら、おもむろに私と話を始めたものである。彼は自分の尊厳を感じているらしく、ものの言い方も身のこなしも、ゆったりとして時々長い口ひげの間からニヤニヤ笑いを漏らすのであった。」
「曲勝手ながら私はまずエルモライをご紹介しなければならない。一つこういう男を想像していただきたい。年の頃は45くらい、痩せて背が高く、細長い鼻をして、額は狭く、目は灰色で、髪はホウボウに乱れ、広い唇には嘲るような表情を浮かべている。この男は、冬でも夏でもドイツ風に仕立てた黄色っぽい南京木綿の長上位を着て歩いていたが、帯だけはロシア風にちゃんと締めているのである。青いだぶだぶの小ロシアズボンをはき、頭には羊革のついた帽子を被っていた。これは身代限りをした地主が、機嫌のいい時にくれたものなので。帯には袋が二つ縛り付けてあった。一つは前の方にあって、火薬を入れるところとばら丸を入れるところと、うまく二つにネジ分けられているし、今一つ後ろの方の獲物は、鳥を入れるようになっていた。綿はどうやら自分の帽子から無尽蔵に取り出しているらしかった。そんなことをしないでも、獲物を売った金で楽に弾薬嚢でも、獲物嚢でも買えたはずなのであるが、彼はそんな買い物の事など夢にも考えたことがない。そして相変わらず自己流に、鉄砲の装填を続けて、巧みに危険を避けながら、火薬と散弾をこぼしたり混ぜ合わせたりする手際で、見る人を感嘆させるのであった。彼の鉄砲は燧石の単身銃で、おまけにこっぴどく跳ね返す悪い癖があった。そのためにエルモライの右の頬はいつも左の方より腫れていた。どうしてこんな鉄砲で弾丸が当たるのやら、器用な人間でもちょっと考えがつかないほどだったが、とにかく当たる。彼はその他にワレートカというセッター種の猟犬を飼っていたが、これが実に驚くべき代物なのである。エルモライは一度もこの犬に餌をやったことがない。『犬なんかに食べ物をくれてたまるもんか』というのが彼の理屈なのであった。おまけに『犬は利口な生き物だから自分で勝手に食い物を見つけるのだ』。また本当にその通りで、ワレートカは通りがかりの冷淡な人間でさえびっくりするほど痩せてひょろけていたけれど、それでもちゃんと生きていた。しかも長生きをしたものである。それどころか、惨憺たる境界に置かれながらも、かつて一度も姿をくらましたこともなければ、主人を降り捨てようなどという気配すら見せたことがない。」
「私はその傍らによって挨拶をすると、並んで腰を下ろした。スチョーブシカの連れも、やはり私の知り合いだということがわかった」
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