ロシアファッションブログです。ロシアを中心にルパシカやサラファンなどスラブのファッションについての情報をお届けしています。これまで、ロシア、ウクライナの民族衣装を取り上げてきました、今回はこれらの国と非常に文化のつながりの深い、ベラルーシを取り上げます。
一般的な特徴として、ベラルーシの民族衣装がウクライナやロシアと共通のルーツを持っていることからそれらが類似していることはは容易に推測できますね。それは、現在のロシア、ウクライナ、ポーランド、リトアニアが統合されていた時代があるからです。周辺国の確認のため、ベラルーシの地図を見てみましょう。
ただしこのブログでもウクライナを取り上げたときに、ロシアの民族衣装との違いがることを紹介しました。ベラルーシにおいてもその伝統の衣装は、ロシア、ウクライナとの比較においてその独創性を示すことができます。ベラルーシの民族衣装は、これら都市のコスチュームのいくつかの機能を吸収し、それにより汎ヨーロッパという文脈に沿っているからだと考えることができます。
ベラルーシの民族衣装の特徴は、その構成の完全性、細部の精巧さ、実用性と装飾性の組み合わせということができます。これはスラブの民族衣装全てに言えることではあります。スラブの衣装の際立った特徴の1つは、刺繍、レース、模様の織り、アップリケなどの豊富なデザインとその技術です。 ベラルーシにおいても、ロシア、ウクライナと同様、国内の各地域で異なるいくつかの特徴がありました。西ポレジー地域では、古風でクリーンなラインが特徴で、東では絵画を連想させ、国の中央部では、調和と静けさによって、ナドヴィニー地方では厳粛さで、ポネモニャでは、ダイナミックなシルエットで、そして、ドニエプル地方では、珍しいさまざまな装飾によって地域性が確立されています。
ベラルーシの民族衣装の歴史
10世紀の考古学資料を見ると、ベラルーシの衣装の痕跡を見ることはできるのですが、資料として参考にできるレベルの物は、16世紀の文書が最初の物で、この書物にベラルーシの衣類が初めて登場しました。そのアイテムと帽子の一部は、1588年のリトアニアの法令に記載されています。ところで、ベラルーシの国名は、「白いルーシ」という意味ですが、その白は、スラブの中でも特に肌の白い人々がいたからだという説と、白い服を着ている人々の地方、という2つの説があるそうです。服装の方でいうと、実際に、19世紀までベラルーシの衣装の主要な色は白でした。これは多くの研究者や旅行者が記録に残している事実です。
当初、当然服や靴を作るためのすべての材料は自然の素材でした。生地の主な原料は、羊毛、麻、イラクサ、亜麻でした。19世紀になって、シルクや西洋、東洋の模様の生地が貴族のためにベラルーシに運ばれました。しかし農民はやはり彼ら自身で生産した生地を管理、使用し、それをさまざまな方法で巧みに織っていたのです。
染色材は、樹皮や芽、花、植物の根、ハーブやベリーなどの天然素材から作られました。地域によって、色付けの方法が異なる可能性があるそうですが、各地域の職人はかなり広い範囲の色、具体的には、青、ラズベリー、紫、黄色、その他さまざまな色合いで生地を染色することに成功していました。19世紀になってからは輸入塗料も使用しています。これらは主にブラジル産木材、白檀、藍からの抽出物でした。 20世紀の初めには、ベラルーシの民族衣装の外観が確立され、その顕著な特徴が現れ始めました。主な特徴の1つは、伝統の保持です。ベラルーシの衣服は、絶え間なく出現する傾向を吸収しつつも、長い間、基本的なカット、形、個々の属性を変更せず、そのルーツを遠い過去に求めることができます。生地の加工技術も保存されています。
地域ごとに異なる衣装
古典的な民族衣装は、20世紀初頭からの詳細な研究によって、各地域の地元住民が現在使用するベラルーシの民族衣装は、その地方の伝統的なバージョンとはある程度の違いがあることがわかりました。現在のものはヨーロッパのファッションの影響の痕跡が残されているからです。このため、よりシンプルな村人の服が、真の独創性の特徴が維持されており、これがベラルーシ共和国の伝統的な衣装と見なされています。現在、伝統的な装いに約22のオプションが数えられるのですが、衣装の個々の要素によって、どの地域、村、または農場に属していることを正確に判断できます。
いくつかの画像を載せますが、確かに特徴が異なりますね。
ベラルーシの男性民族衣装:
原則として、男性のベラルーシの民族衣装は、襟と裾に刺繍を施したルパシカ、ベスト、パンツで構成されていました。それらは麻の布(白または生成り)でできており、冬のズボンは、より厚めの綿生地が使われます。ルパシカはズボンの上に着用され、色付きのベルトで締められていました。原則として、ルパシカは白く、襟が立っているチュニックの形をしていたようです。袖、襟、裾は刺繍、レースで飾られてました。ポケットはなく、その代わりに、肩に掛けたり、ベルトに掛けたりする革製のバッグを携えることが多かったことがわかっています。暖かい季節にはシャツの代わりに、カミゼルカ(ベストのことです)と呼ばれるノースリーブのジャケットを着ていました。
男性はシャツの上にブラバーカと呼ばれるジャケットを着ました。
冬のアウターはシープスキンから縫製されたコートを着ていました。
裕福な人々は、高価な生地で裏打ちされ、アップリケや刺繍で飾られたものを着ていました。そして最も裕福な人々は毛皮のコートを買う余裕がありました。他にも多くのタイプのアウターウェアがあり、それらは「キレヤ」「ブルカ」「エパンチャ」などと呼ばれていました。
男性の帽子:
男性の頭飾りの最も一般的なタイプは、麦わら帽子、ウール帽、毛皮の帽子でした。
幅の広い麦わら帽子のつばの幅は10cmに達し、帽子の高さも約10cmで、いくつかの地域では、さまざまなパターンでの編み物の飾りがついています。
毛糸の帽子は、羊毛だけではなく馬の毛からも編まれていました。
生成り、灰色または茶色のフェルトウールで作られた帽子も一般的でした。
男性の履物
今日私たちが検討しているベラルーシの民族衣装は、靴がなければそれほど独特ではありません。考古学的な発見は、ベラルーシの靴工芸が11世紀に発展し始めたことを示しています。当初、最も一般的な靴は麻、またはブドウの樹皮で織られた靱皮(木の皮)靴でした。ソールの強度を高めるために、同じ素材で厚く編んだり、革で裏地を付けたりしています。
最も単純な靱皮靴はシェルバカムщербакамиと呼ばれていました。それらは軽く、ご覧の通りシンプルな作りですが、ロシアやウクライナでは見かけない形です。下の画像、靴に注目してください。
時々ベラルーシの北西部で木製の靴が履かれました。木製の靴が一般的な国と地域は、主にオランダ、ベルギー、ガリシア、カンタブリア、リトアニア、デンマーク、スウェーデンです。リトアニアに近い地域では木製の靴があったということなんですね。
ベラルーシの木靴の画像はなかったですが、リトアニアのものがありましたので貼っておきます。
いかがでしたでしょうか。
このブログを、ロシア、ウクライナとシリーズでみていただくとわかりますが、確かにベラルーシも含め、3つのゾーンごとの違いはありますね。
ところで、かつてベラルーシでは、帽子とベルトなしで男が出かけると、笑いものになるかもしれないが、外を裸足で歩くのはごく普通のことということでした。参考ブログのベラルーシ人がそう言ってました。
次回もベラルーシのシリーズは続きます。
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